岩泉線跡でもレールバイク

 2014年に廃止になった岩泉線。その岩泉線で一部区間のレールが活用されることになりました。2016年6月にレールバイクの運行が開始されたのです。休日に限り、旧岩手和井内駅から旧中里駅までの約3キロの間、走ることができます。

 ところが、台風10号の被害はこのできたばかりのレールバイクにも及んでいました。土砂崩れで運休したままとなっています。運営主体の和井内刈屋地域振興会は、宮古市に対して土砂を取り除くように要請していますが、優先順位が低いためか、その動きはないようです。
(参考:「宮古旅手帳」 http://www.kankou385.jp/news/647.html、毎日jp http://mainichi.jp/articles/20160917/k00/00e/040/184000c)

| | Comments (0) | TrackBack (0)

新幹線は北海道へ(3)

 次に乗るのは木古内9:44発の「はやぶさ16号」。駅に着いてすぐ「みどりの窓口」で新幹線の特定特急券を買ったが、まだ1時間半ほどある。駅には売店がなく、その代わりにあるのが駅南側にある道の駅、「みそぎの郷きこない」。ただそれも9時にならないと開かないため、風の強い中、駅からまっすぐ歩いたところにあるみそぎ浜に行く。みそぎ浜は駅から5分あれば着くようなところなので、また駅に戻る。時間になり、道の駅に行く。お土産を何にするか考える。

 時間になり、「はやぶさ16号」に乗る。特定特急券は普通車の空いている席に座ることができるもの。3号車を選ぶとガラガラだった。ただほかの号車はそれなりに乗っているようだった。「はやぶさ16号」は貨物列車との共用区間を走る。在来線と同じ時速140キロに抑えられているが、遅さは感じない。青函トンネルに入るときには車掌からのアナウンスがあった。トンネルを抜けるのに25分かかる。

 奥津軽いまべつに到着。橋上駅舎と入口との間には大きな橋がかかっている。貨物列車が通る狭軌の線路(駅がある部分は、新幹線と貨物列車の走る線路が別々になる)と津軽線を跨ぐのだが、新幹線開業前まで存在した津軽今別の跡が残っている。階段を何段も降りて外に出るが駅前に店はない。小さなバスターミナルと右手にある屋根付きの駐車場があるのみである。その駐車場を越えたところに津軽線の津軽二股駅があり、道の駅も併設されている。しかし正直言ってわかりにくい。奥津軽いまべつの駅前に移設したほうがよさそうだ。

 何もない駅だが、奥津軽いまべつから津軽鉄道の津軽中里に行くバスが出ている。1日4往復で、弘南バスが運行する。奥津軽いまべつ駅前10:40発の便がやってきた。マイクロバスが使われ、客は2人しかいない。それにしてもこのバス、思いっきり飛ばす。途中の停留所が全て下車専用ということもあり、着いたのは所定よりも30分も早い11:20。しかもこのようなことはしょっちゅうらしい。予定通り、津軽中里12:32発に乗る。それまでにお昼にするが、見たところ駅周辺に店は見当たらない。駅前にあった店は休みだ。かつて駅にはスーパーがあったが、そこも閉店となり(建物は残っている。公民館みたいな使われかたをしているようだ)、軽食をその一角で少しつくってくれるだけ。海草で巻いた大きなおにぎりを注文し、お昼とする。時間になったので、津軽鉄道に乗る。車掌ではなく、アテンダントが乗っている。しかし客が2人と少なく、アテンダントも暇そう。アテンダントは観光客ひとりひとりに対して案内するが、聞くと津軽中里の飲食店の地図も持っている。先に知っていればとも思う。1時間あればそれなりのところでお昼にできそうだ。金木で乗ってきて10人ほどとなり、アテンダントも忙しくなる。

 五所川原から弘前まで五能線に乗る。五所川原13:19発の弘前行きはキハ40の2両編成。どちらも首都圏色、ボックスシートを1人で占領できる程度の混み具合。終点の弘前で弘南鉄道に乗り換え。弘南鉄道の弘前駅は、JRの駅の東側にある。自動券売機で黒石までの切符を買い、14:30発に乗る。乗客は30人ぐらい。車両は東急のお古の2両編成だ。弘前を離れるにつれ乗客は減っていくが、終点まで乗り通すのも結構いて、半分あまりは黒石まで乗り通す。黒石では名物のつゆやきそばを食べ、こみせのある街並みを散歩する。雪でも歩くことができるようになっている。

 再び駅に戻り、黒石駅前16:20発の青森営業所行きのバスに乗る。弘南バスが運行するバスで、前と中程に扉がある、ごく普通の路線バスである。しかし、乗降ともに前から行う。バスの中を見ると理由はわかる。中扉から出入りできないようにパイプで塞がれているのだ。新青森駅南口で降りた。2、3分ぐらいの遅れで済んだので、距離を考えたらほぼ定時と言ってもいいだろう。津軽海峡フェリーターミナルへのバスは同じ新青森駅でも東口から出ているので、そこまで歩く。その間に新青森駅で夕食の弁当を買う。太宰治の好物がたくさん入った、「太宰弁当」だ。駅弁ではなく、居酒屋のつくった弁当のようだ。津軽海峡フェリーターミナルでは弁当は売り切れていたから、結果として新青森駅で買ったのは正解。津軽海峡フェリーターミナルへのバスは青森観光バスという会社が運行している。バスは新青森駅にやってきたが、すでに10人ぐらい乗っていて、小さいバスの座席はほとんど埋まっている。10分ほどで津軽海峡フェリーターミナルに到着。降りたのは新青森から乗った2人だけだった。バスは再び青森の中心部に向けて走り出した。

 フェリーの乗船手続きはすぐに終わった。送られてきた振込用紙にあるバーコードを読み込ませたら済むのだ。19:10の出航までまだ1時間半程度ある。レストランの閉まった2階で新聞を読んだりテレビのニュースを見たりして過ごす。どうしても旅に出ると情報に疎くなる。新聞は全国紙ではなくそこにしかない地方紙にするのが面白い。フェリーは出航30分前に乗船を開始するというので、フェリーターミナルを出て3番乗り場まで歩く。隣の2番乗り場に停まったフェリーからトラックが次々と出てくる。トンネルがあってもフェリーは物流を担う重要な交通機関なのだ。

 乗船できるようになったので、フェリーに乗ることにする。客室のあるエリアに着いたが、かなり狭い。カーペット敷きの2等が3つほどと、シャワー付きのトイレ、自動販売機コーナーがあるだけ。4時間も乗るフェリーだから、食堂や風呂があるものと思っていただけに意外だ。貨物がメインで旅客はおまけなのだろう。もっとも客は少なくて文句は言えない。カーペットの大部屋も広々と使えるほどだ。新青森で買った弁当を食べた後眠くなり一眠りするが、気がついたら到着の少し前だった。

 昼間なら函館駅前まで連絡バスがあるが、23時と遅いのでそういうものはない。道南いさりび鉄道の七重浜駅まではそう遠くもないが、肝心の函館に行く列車がない。さすがに函館まで歩くわけにはいかないので、青森を出る前にタクシーを頼んでいる。定額制のタクシーで函館駅前まで深夜料金込みで1430円。通常より安くてお得だ。函館に着いた段階でタクシーのドライバーが名前を書いた札を掲げているので、その人についてタクシーに乗る。夜遅い時間なので流れは順調で10分あまりで函館駅前のホテルに着いた。正直言って、フェリー代とタクシー代で北海道新幹線に乗ることができ(「北海道&東日本パス」を持っているので、特定特急券を買えば北海道新幹線に乗ることができる)、新幹線のほうが所要時間、本数ともに優れている。フェリーに乗る意味はないのかもしれないが、青函トンネルすらなかった時代の原点に戻るという意味で、フェリーを選択したのだ。当時はまだ子供だったため、青函連絡船は遠すぎて乗ることができなかったのだ。(続く)

| | Comments (0) | TrackBack (0)

新幹線は北海道へ(0)

 9月13日から17日にかけて北海道方面に出かけてきました。3月26日に新函館北斗まで開業した、北海道新幹線にも乗ってきました。

 明日から何回かに分けて、そのときの様子を書いていきます。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

宮城県にできた2つの鉄道と、福島第一原発付近のバスに乗る(2)

 仙台から次に乗ったのは、仙石東北ライン。松島付近につくられた接続線を使って、東北線の仙台と仙石線の石巻を結ぶルートだ。仙石線は元々私鉄の電車で、高速運転には適していない。これに対して東北線は新幹線開業までは特急などが行き交っていた幹線。東北線と仙石線は松島付近で近接して走っていて、両線に接続線を設けることにより、仙台-石巻間の速達化を図るという考えは以前からあったが、東日本大震災が契機となって実現することになったのである。とはいえ、東北線は交流、仙石線は直流。どうやって直通させるのと言えば、ディーゼルカーを走らせるのである。ただし、普通のディーゼルカーではない。ハイブリッドのディーゼルカーだ。HB-E210系といい、基本的に仙石東北ラインで使われる。

 仙石東北ラインの石巻行きは東北線のホームから発車する。仙台13:16発だ。HB-E210系の4両編成である。この車両の特徴としては車内にデッドスペースが多く、その分座席が減ってしまうこと、そして列車を走らせるのに必要なエネルギーをどこから賄っているかを表示する画面があることである。大雑把に言えば、駅を出るときはバッテリに蓄えられた電力で走り出し、しばらくするとエンジンも使う。スピードが上がるとエンジンで充電し、減速時にはブレーキも充電に使われる。なお、車両の高さは仙石線を基準としているので、東北線で乗り降りするときは段差があることになる。仙石東北ラインは全列車特別快速か快速だが、この仙台13:16発のように東北線内は各駅に停まるものもある。とは言っても、東北線は仙石線に比べて駅と駅の間隔が開いているので、仙石線の基準で言えば快速みたいなものだ。

 塩釜を過ぎると、仙石線が近づく。松島までもう少しのところで速度を落とす。これから2015年5月30日に開業した接続線を渡って仙石線に行くのだ。ポイントを渡り東北線上り線に、さらにポイントを渡り接続線で一時停止、仙石線あおば通行きが通り過ぎて行く。やがて仙石東北ラインの列車も仙石線に入り、高城町に着いた。高城町-陸前小野間は2015年5月30日に運行を再開した区間。しばらくは海岸沿いに走る。海岸が迫るが被害が小さかったのか、小さな防波堤があるのみ。ところが陸前大塚を過ぎると列車は坂を登る。野蒜付近は津波で大きな被害を受けたため、移設されたのだ。途中には野蒜など2駅がある。しかし、駅はできたが2つとも整備中で、何もない。次の陸前小野に行く途中の高架橋でカントに違和感を感じたところがあった。ここが移設前の線路との接続点だろうか?

 陸前赤井で石巻13:58発の仙石東北ライン経由の快速とすれ違う。仙石東北ラインの列車は通常4両編成だが、これは2両編成。すでにドア付近には立っている人がいる。私が乗っているこの4両編成も、終着駅の石巻に近づいた今でこそガラガラになったが、仙台を出たときは立っている人もいた。先ほどすれ違った2両編成は、石巻を出たばかりなので、これからも乗ってくる。自分の乗らない列車とはいえ心配だ。陸前赤井と次の蛇田との間には新駅ができる。3月26日に開業する石巻あゆみ野だ。ここも整備中、駅前には何もない。ただ少し離れたところは住宅街となっていて、無人地帯ではない。もっとも、石巻あゆみ野は普通しか停まらないので、駅ができても本数は少ないという問題はある。

 石巻で石巻線に乗り換え。女川行きに乗るが、階段の上り下りなしの平面で乗り換えることができる。ありがたい配慮だ。車両はに来たときと違い、JRになってからのキハ110形。ボックスが埋まっていたので2両編成の最後部に立つことにする。浦宿までは震災後に乗ったことがあるが、浦宿から先は2015年3月21日になってようやく復旧した区間である。石巻線の終点、女川は東日本大震災の津波で大きな被害を受けたところであり、震災から4年経ってようやく復旧することができたのである。浦宿-女川間は線路の移設も行われている。トンネルを抜けると高台に移設された女川はすぐだ。駅前には広場があり、道路を渡ったところには黒で統一された商店街がある。観光客向けの店(観光バスがやってきて、賑わっていた)だけではなく、理髪店のように地元客を相手にした店もある。しかし駅前の一角以外には店はなく、ダンプが行き交っていた。先ほども述べたように、女川は移設された駅。震災前の駅の跡を探そうとしたが見つからなかった。駅員にも尋ねたが「わからない」とのこと。女川は震災後に一度訪れたことがあるが、そのときは浦宿から代行バスに乗った。そのバス停は駅から山のほうに歩いて7〜8分のところ。時間があるので行くことにした。復興用の団地ができあがっていた。再び駅に戻り、時間があるので併設されている温泉に入ろうとも考えたが、今日はホテルに泊まるのでここで風呂に入らなくてもいいことに気づき、足湯だけにする。ただ、温泉の1階売店で夕食用の弁当を買う。女川らしく魚がメインの弁当だった。

 さらにしばらく待って女川16:32発の小牛田行きに乗る。石巻からはそのまま石巻線に乗るほか、仙石線、仙石東北ラインで行く方法もある。いずれも仙台に着く時間はほぼ同じ。5分ほどの差だ。しかし、仙台に近づくと弁当は食べづらい。ロングシートの仙石線は当然として、仙台に直接向かう仙石東北ラインにも乗らずに、そのまま石巻線に乗り、ボックスシートの車内で女川で買った弁当を食べる。小牛田からはE721系の普通に乗り換えて、仙台に行く。

 仙台で20分ほど待って、19:05発の福島行きに乗る。719系の6両編成だ。空席を見つけて座る。仙台を離れるにつれてどんどん減っていき、30分ほどでボックスシートを1人占めできるほどになった。福島で乗り換えた1日目最後の列車は、福島20:36発の黒磯行き。701系6両編成である。仙台からの列車が来たときにはいなかったが、しばらくすると郡山方面からやって来た。福島の改札から一番離れた最後部に乗ったので、福島発車時点からガラガラ。当然途中で増えることはなく、そのまま郡山に着く。郡山のホテルは東口からすぐのところにある。建物が目立つためわかりやすいが、肝心の東口まで行くのに時間かかるのだ。改札口は西側のみにあり、そこから7〜8分かけて自由通路を歩かないと東口に着かないのだ。(続く)

| | Comments (0) | TrackBack (0)

宮城県にできた2つの鉄道と、福島第一原発付近のバスに乗る(0)

 1月8日の夜から11日にかけて、2015年に宮城県に開業した2つの鉄道と、福島第一原発付近のバスに乗ってきました。

 明日から何回かに分けて、そのときの様子を書いていきます。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

貴重な存在となった、北の夜行列車に乗る(3)

 久慈からは4月に全線復旧した、三陸鉄道に乗る。JRの駅舎を出て、三陸鉄道の駅舎に行く。三陸鉄道久慈駅の駅弁と言えば、NHKの朝のドラマ、「あまちゃん」で有名になった「うに弁当」だが、売り切れ。野辺地で駅弁を買っておいて正解といったところか。その三陸鉄道だが、窓口が混み合っている。「こたつ列車」の出る時間(久慈12:15発)だからだ。「こたつ列車」は、ボックスごとにこたつが置かれている列車。お座敷列車を使っている。運賃のほかに310円の指定席料金がかかる。2両編成で前が「こたつ列車」、後ろが通常の特別料金がいらない車両。「こたつ列車」のことは知らなかったので、後ろの車両に乗る(もちろん、三陸鉄道は「青春18きっぷ」が使えないので、自動券売機で切符を買う)。ただ、通常の車両とは言え、全線復旧に伴い投入された新車。ボックスシートにテーブルが備え付けられており、弁当を食べるときなどは便利だ。

 三陸鉄道の列車は景色のいいところで減速する。「あまちゃん」で袖が浜駅として登場した堀内では2分停車し、撮影できる。ちゃんと袖が浜駅の駅名標も残っている。ところで三陸鉄道は全線復旧まで3年を要したことからもわかる通り、東日本大震災で大きな被害を受けた。ところどころあらゆるものが流され、何もかもなくなってしまったところがある。忘れてはならないことだろう。もっとも、気にかかることがある。三陸鉄道は観光客で賑わっているが、鉄道に沿って高速道路ができつつある。当然ながら国道があるのだから、採算がとれない高速道路をつくるのは無駄としか言いようがない。人口が減少していく日本なのだから、やみくもに公共投資をすればいいものではない。

 時間の都合で、宮古で三陸を南下するのはやめ、内陸に行くことにする。宮古から盛岡に行く鉄道は山田線だが、この山田線、並行して走る国道を通るバス、「106急行」に完全に負け、区間運転を除くと1日4往復しかない。あまりにも利用者が少ないため、冬季に営業を取り止める駅がある。ただ年末年始は、ちょうどいい時間に臨時列車が運転されている。宮古14:07発の快速「ふるさと宮古」だ。三陸鉄道の宮古着は13:54だから、本当にちょうどいい接続だ。1日1往復運行される「ふるさと宮古」は、キハ58とキハ28から成る、3両編成。キハ58はとっくに引退したと思っていただけに、意外な再会だ。ただ、車両は内外ともに大きく変えられ、両端は展望車となっている。中間車の一部を除いてハイデッカー構造で、使われてはいないが、カラオケ設備もある。車体は青く塗られ、「わんこきょうだい」が描かれている。「ふるさと宮古」は区界まで坂を上り続ける。雪に白く染まった谷あいを、旧型のキハ58が苦しそうに上っていく。人家はなく、あるのは線路と国道と川だけだ。区界を過ぎて下り坂になっても人家は見当たらない。期間限定で増発実験を行っている上米内を過ぎても、あまり人家はない。山岸のあたりで急に増えるのだから、上米内発着にしているのは設備の都合なのだろう。

 今夜の宿は石巻。東北線で小牛田まで行き、そこから石巻線に乗り換えるが、このまま普通列車を乗り継いでも、小牛田の接続はよくない。それならということで、どこかで途中下車して晩にする。盛岡16:30発の北上行きに乗る。701系の4両編成。前のほうは混んでいたが、後ろはそれほどでもなく、座ることができた。花巻で下車、暗くなった雪道を歩いて行ったのは、「やぶ屋」。宮沢賢治が農学校の教師であったとき、よく行った店である。「やぶ屋」ではわんこそばもやっているが、今回食べたのは天ぷらそばとサイダー。宮沢賢治が食べたメニューだ。今注文すると天ぷらそばが税抜き650円、サイダーが税抜き200円だが、当時は天ぷらそばが15銭、サイダーが23銭とサイダーのほうが高かったのだ。ハイカラな部類だったのだろう。来た道を歩いて駅に戻る。

 花巻18:58発の一ノ関行きに乗る。701系の4両編成であることには変わりがない。最初は立つ人がいたが、北上、水沢あたりで降り、一ノ関に着くころには空いていた。一ノ関では仙台行きに乗り換え、これも701系の4両編成だが、帯の色が仙台支社色になっている。一ノ関までの列車から乗り継ぐ人は少なく、一ノ関で乗り換えさせるのは妥当といったところ。小牛田で降り、21:06発の浦宿行きに乗るのであるが、向かいの4番線から出るはずの浦宿行きがホームにいない。3番線と4番線の待合室で列車が来るのを待つ。仙台からの列車もやってきて、待合室の椅子が埋まる。発車の5分ほど前になって、浦宿行きがホームに入線する。キハ48の4両編成で(ただし八戸線のとは違い、石巻線のキハ48にはデッキはない)、前2両が「石巻線マンガッタンライナー」。2両目のボックスシートに座る。

 駅を出てまっすぐ歩き、突き当たりに看板があるのでそれに従って行ったら、今夜(29日)の宿のマイルーム石巻。駅から5分少々で着く。マイルーム石巻はワンルームのアパートを改装したようなところ。受付で鍵をもらい、アパートに入る。バスとトイレは部屋の中にあり、食事は事前に注文すれば別のところで食べることができる。(続く)

| | Comments (0) | TrackBack (0)

貴重な存在となった、北の夜行列車に乗る(2)

 札幌に着いてまず最初にしたのが、2015年3月のダイヤ改正で定期列車としての運行を終える、「北斗星」の見送り。今回の旅行では「北斗星」に乗ることも考えたが、予約できなかった。さて、「北斗星」の見送りを終え、次の列車に乗ろうとするが、その予定の札幌17:35発岩見沢行きが運休、とのアナウンスが流れている。昨日(26日)の大雪の影響らしい。仕方ないので、札幌18:00発の「スーパーカムイ31号」に乗る。新しいほうの789系を期待していたが、残念ながら785系だった。特急料金は車掌に払う。この「スーパーカムイ31号」も札幌発が数分遅れ、岩見沢にそのままの遅れで着く。岩見沢からは跨線橋を渡り、滝川行きの普通列車に乗る(こちらも特急が遅れたため、遅れて発車)。3扉だが、ちゃんとデッキと客室が区分されている721系(3両編成)だった。美唄で降りる。

 美唄まで行って乗ろうとしたのは、北海道初の国鉄型電車、711系。1967年の小樽−滝川間の電化以来、地元の足(2扉デッキありという接客設備から、急行として使われることもあった)として長い間使われてきたが、ついに2015年3月で引退することになった。当初、北海道のことなので、お別れ乗車するつもりはなかったが、年末に夜行列車に乗りに北海道まで行くことになったので、ここまで足を伸ばしたのである。711系の運用は事前にインターネットで調べている。美唄19:00発(旭川始発)の岩見沢行きがそれだ。美唄の「みどりの窓口」でまだ買っていなかった、札幌までと、札幌から新青森までの切符を買い、711系に乗る。17分という短い乗車だが、ボックスシートに座り、別れを惜しむことができた。岩見沢で来た次の「スーパーカムイ40号」も785系だったので、後続の岩見沢19:40発区間快速小樽行きに乗る。721系が使われ、江別から札幌まで快速運転する。

 札幌で夕食(札幌ラーメン)を食べ、お土産を買った後、今晩の宿、「はまなす」に乗る。今日(27日)の「はまなす」はディーゼル機関車を含めて13両編成。通常は寝台車が2両、指定席が3両、自由席が2両だが、今日は寝台車は1号車、増21号車、2号車の3両、指定席は3号車から8号車の6両(ただし、通常時期に指定席となっている4号車から6号車以外は、自由席と同じ車両なので、同じ指定席急行料金を払っても設備の差は大きい)、自由席は9号車から11号車の3両という編成。これを北斗星カラーのDD51が1両で引く。寝台車、指定席は満席だが、大量に増結したため、自由席は空いている。「スーパー宗谷4号」の到着を待って発車したため、8分遅れで札幌を発車。指定された席は6号車の「ドリームカー」。4列シートだが、席はグリーン車を転用したもののようで、リクライニングの角度が大きく、フットレストもついている。車端にはミニロビーもついている。本当は完全に横になることのできる、4号車の「カーペットカー」にしたかったが、満席で予約できなかった。話をもとに戻す。「はまなす」は停車時のショックが大きく、最初はそこで目が覚めたが、減光されていたこともあり、いつの間にか眠ってしまった。出発時に8分あった遅れも、函館では定時に到着。しかしその後は対向列車の絡みで遅れ、結局、青森到着時点では「はまなす」は3分遅れとなった。余談だが、この「はまなす」、函館で列車の向きが変わる。しかし、深夜の寝ている時間の列車のため、座席の向きを変える人は見た限り、誰もいなかった。

 時間があるので、E751系の「つがる2号」に乗って、隣の新青森まで。「つがる」はもちろん特急だが、新青森-青森間は新幹線利用者のため、自由席に限り特急料金なしで乗車できる。「はまなす」が遅れた影響でこちらも5分余り遅れて出発。そもそも長距離列車が4分で接続するというダイヤが厳しいとも言える。特急などをふんだんに使う旅はこれでおしまい。新青森で「青春18きっぷ」を見せ、1回目のところに印を押してもらう。数分遅れの普通列車(所定のダイヤでは新青森6:05発)で青森に戻る。

 次に乗りたい列車は、青森7:52発の青い森鉄道八戸行き。まだまだ時間があるので、駅から歩いて青森魚菜センターに行く。ここの売りは朝7時からやっている、「のっけ丼」だ。540円で5枚綴りか、1080円で10枚綴りの食券を買い、御飯や好みの具を買う。オリジナルの海鮮丼ができるわけだ。最初に5枚綴りを買ったが、それで足りるわけではなく、さらに5枚綴りを追加する。再び駅に戻り、予定していた列車に乗るが、奥羽線の列車を待ったため遅れて発車した。

 2両編成の701系にはアテンダントが乗っている。駅にもアテンダントがいる。結構手厚い人的サービスだ。浅虫温泉で中線に入る。何のためかと思ったら、貨物列車の待避のためだ。新幹線開業前の特急が頻繁に走っていた時ならともかく、新幹線開業によって特急が廃止になった今になっても待避待ちがあるとは意外だ。貨物列車の待避待ちを終え、普通列車は発車する。浅虫温泉までは乗降があったが、過ぎると少なくなり、落ち着く。乗り通す人が多そうだ。アテンダントもいつの間にかいなくなった。利用者が多い、浅虫温泉までなのだろうか?

 この八戸行きの普通列車に乗り続けてもよかったが、野辺地で乗り換えることにする。たまには肉の弁当にしようと、売店で昼食用の駅弁(「野辺地とりめし」)を買い、次に乗ったのは、大湊線からの直通快速、「しもきた」(野辺地9:01発)。キハ100の2両編成だ。ボックスシートに座ることができず、2両目後ろのロングシート部分に座る。快速らしくいくつかの駅を通過し、八戸に到着。

 八戸からは八戸線に乗り換え。八戸10:07発の久慈行き(キハ48とキハ40の2両編成)に乗る。通常ならワンマン運転のところだが、ここ八戸線は車掌が乗っている。国鉄のローカル線みたいだ。ただし今風なのは、車掌が女性であること。もっとも、八戸線にも新車が入るという話があり、次に乗るときには様子が変わっていることだろう。ところで、八戸線では列車の進行方向を間違え、山側の後向きに座ってしまった。本数の減る鮫あたりで空いて、座れると思ったが、意外と減らない。種市である程度降りる人がいて、ようやく海側の席に座る。東日本大震災で1年運休したので、海岸に沿って走ると思ったら、意外と海が見えるのは少ない。(続く)

| | Comments (0) | TrackBack (0)

貴重な存在となった、北の夜行列車に乗る(0)

 年末の2014年12月26日から30日にかけて、貴重な存在となった夜行列車に乗りに、北海道まで行ってきました。

 明日から何回かに分けて、そのときの様子を書いていきます。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

小坂鉄道レールパークに「あけぼの」寝台車

 今年3月のダイヤ改正で廃止になった、「あけぼの」。その後はゴールデンウィーク夏休みに臨時列車として運転されました。

 しかし、ゴールデンウィークや夏の利用状況は好調だったものの、年末年始は4日間しか運転されません。これまであったB寝台個室も連結されず、開放型のみの編成となります。定期列車として廃止された後も当分は臨時列車として運転するが、いつの間にか消えてしまうという法則が発動されそうです。

 そんな中、「あけぼの」で使われた寝台車3両を宿泊施設として使うという話が出てきました。「日本海」と同じような話です。A寝台、B寝台個室、開放型B寝台の3両が、秋田県小坂町の小坂鉄道レールパークに売却されるようです。小坂鉄道テーマパークとは、旧小坂鉄道の鉄路や駅舎を活用して、6月に小坂鉱山にオープンした体験型のテーマパークです。小坂町が進める「明治百年通りプロジェクト」の一環として整備されましたものです。小坂鉄道レールパークはオープン以来、予想を上回るペースで推移していますが、新たな誘客の目玉として寝台車を導入することにしたのです。2015年4月以降に売却契約を結ぶようで、昼はディーゼルカーで牽引するかたちで体験乗車ができ、夜は宿泊施設として使います。寝台車は現役当時の内外装を活かし、トイレとシャワー、電気設備を新たに整備し、最大80人が宿泊できます。

 もちろん、開放型寝台だけでも臨時列車としてはやっていけます。しかし、明るい未来でないことは確実でしょう。いつの間にか臨時列車としても「あけぼの」が消えてしまうと考えておいたほうがよいでしょう。

(追記1)
 小坂鉄道レールパークについて、追加で説明します。約400ヘクタールの敷地内に小坂駅舎、機関車庫、車両展示場があり、機関車庫には旅客輸送や貨物列車の牽引に活躍したキハ2100形とDD130形ディーゼル機関車、それとラッセル車などがあります。車両展示場には1921年に秩父宮殿下、高松宮殿下が小坂鉱山を訪問されたときに利用された特別客車「ハ1貴賓客車」や大正から昭和にかけて走行した「11号蒸気機関車」(ナローゲージ時代の1962年まで現役でした)があります。小坂駅を起点にしたレールバイクやトロッコの体験乗車のほか、DD130形の体験運転もできます。ディーゼル機関車の運転体験は国内初で、貨車を連結した姿や三重連もできます。入場料が大人500円かかり、施設によっては体験料金が別途必要です。

(追記2)
 小坂町中心部には宿泊施設が少ないようで、そのこともあって「あけぼの」寝台車を持ってきたようです。なお、本格的な使用開始は2015年10月ですが、2015年6月6日と7日の2日間、機関車が電源車と開放型B寝台を引っ張るかたちで記念運行をします。構内の約500メートルを2日間で12往復します。1回あたりの定員は40人、料金は高校生以上300円です。一般には見ることのできない電源車の内部も公開されます。

(追記3)
 2015年8月24日に開かれた臨時町議会で、自家発電や火災報知機の設置費、塗装費など約2300万円を盛り込んだ2015年度一般会計補正予算案が否決され、2015年10月の開業が延期されることになりました。

(追記4)
 紆余曲折がありましたが、2015年10月31日、「小坂鉄道レールパーク」内に寝台車を活用した宿泊施設、「ブルートレインあけぼの」がオープンしました。当面はB寝台個室のみの営業で、A寝台個室は2016年4月からとなります。B寝台は食事や談話スペース扱いとなっています。夕食は町内の飲食店を使いますが(割引あり)、朝は予約制で「鶏めし弁当」を食べることもできます。
(参考:毎日jp(会員登録要) http://mainichi.jp/area/akita/news/20141029ddlk05040099000c.html、http://mainichi.jp/area/akita/news/20151027ddlk05040113000c.html、さきがけ on The Web http://www.sakigake.jp/p/akita/news.jsp?kc=20141028e、http://www.sakigake.jp/p/akita/chihou.jsp?kc=20141104ay、タビリスホームページ http://tabiris.com/archives/akebono-3/、「鉄道ジャーナル」2014年7月号、鉄道ジャーナル社、NHK「おはよう日本」 2015年6年4日放送、YOMIURI ONLINE http://www.yomiuri.co.jp/local/akita/news/20150603-OYTNT50428.html、河北新報ホームページ http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201508/20150826_41049.html、「編集長敬白」 http://rail.hobidas.com/blog/natori/archives/2015/11/09/)

| | Comments (0) | TrackBack (0)

南三陸の現状を見る(3)

 列車は柳津止まり。ここからはBRTになる。22分の接続だが、ディーゼルカーに乗っていた十数人の客はみなバスに乗り込んだ。柳津を11:37に発車。しばらくは国道を走るが、なぜか大阪市バスの門真南行きとすれ違った。

 南三陸町に入ると様子が大きく変わる。かなり陸地のほうまで、建物がないのだ。あるのは土台ぐらい。バスは陸前戸倉から専用道に入る。震災前まで鉄道だったところだ。気仙沼線のBRTは専用道区間とそうでないところを繰り返す。南三陸町の中心は志津川。ここは役場も駅も津波の被害に逢い、駅は少し奥にある仮設の商店街のあるところに移っている。役場は小高い山の上、ベイサイドアリーナに移っている。ベイサイドアリーナのあたりには水産会社の工場のほか、銀行やコンビニ、住宅まである。BRTは朝晩の一部を除き、ベイサイドアリーナに立ち寄る。

 気仙沼線は比較的新しい路線のため、トンネルが多く、気仙沼近くになるまでは道路との交差(鉄道時代の踏切)は少ない。BRTの先行事例のひとつでもある、かしてつとは違う。バスは柳津から乗ったメンバーがほとんど変わらないまま走る。1時間2本に増える本吉から乗降が見られるようになったが、日中の利用者は多いわけではない。すれ違うバスを見る限り、乗客はいずれも数人。このバスも列車の接続がなければ、ガラガラのバスになっただろう。バスは混雑する気仙沼市内を走り(役所や大型のスーパーなど、需要がありそうなところなら、既存の駅にこだわらず、臨時駅を増設すればよいと思われる)、定時に気仙沼駅に着いた。

 行程を考えると、ここで一本落として、気仙沼でお土産を買っておきたい。しかし、気仙沼の駅前には店は少ない。駅前のレンタサイクルで自転車を借り、「お魚いちば」でお土産を買う。ここで遅いがお昼にしようと思ったが、時間がないので、「復活バーガー」なるものを買う。バンズの中にフカ(サメ)のカツが入っている。大船渡線のバスの車内で食べたが、何も知らなければ白身魚だ。

 気仙沼14:52発の陸前高田行きに乗る。大船渡線も気仙沼-盛間はBRTだ。気仙沼線のBRTは、専用道区間が短く(9月28日からは大幅に増えるが、それでも気仙沼-陸前高田間は全くない)、鉄道とは全く違うところを走る箇所もある。自動車専用道を走る区間(鹿折唐桑-長部間)もある。高速道路ではないので、路線バス用の車両でも問題ない。

 5分ほど遅れて臨時駅、奇跡の一本松に着いた。途中下車する。BRTでも、鉄道との合算距離が100キロを超えたら、途中下車できるのだ。高田の松原は7万本もあることで知られていたが、津波でたった1本を残して流されてしまった。その1本の松を人々は「奇跡の一本松」という。実はその一本松、塩水で根が枯れてしまったが、樹脂などを入れて、モニュメントとして残すそうだ。ただ、その奇跡の一本松のあたりには店はほとんどない。仮設の売店が2~3あるだけだ。近くには道の駅があったが、津波の被害に逢い、廃虚となっている。少し周りを歩いたが、ダンプカーなどのトラックがひっきりなしに走るのみ。砂ぼこりがひどい。次のバスは16:50発、まだ40分近くある。次のバスが来るまでの間、仮設の売店で時間をつぶす。

 次のバスも5分ほど遅れてやってきた。陸前高田の中心部は津波で壊滅的な被害を受けたので、役所などは高台に移っている。しばらくは高台を走る。とても地震まではバスが走るとは思わなかったところだ。バスはこれまで一般道を走り続けていたが、ようやく小友駅近くになって専用道を走る。しかし、それも駅を過ぎたところまで。再び一般道に戻る。とてもバスが通るとは思えないような細い道を登っていく。なお、9月28日のダイヤ改正からは終点盛まで専用道を走り続けるので、スムーズな走行が期待できる。盛のひとつ手前の大船渡から専用道を走る。右側に線路がやってきて、しばらく並行するといきなり盛駅。鉄道時代のホームをそのままBRTに転用している。

 盛から先は第三セクターの三陸鉄道。吉浜までは復旧し、残る区間の復旧作業が行われている。18:00発の吉浜行きは1両。クウェートの援助によってできた新車だ。ボックスシート主体で、真ん中にはテーブルがある。全体が木目調にまとめられ、温かみがある。定刻に盛を発車。しばらくはBRTのバスと並走する。三陸鉄道は震災の影響で時速45キロに抑えて走っているので(私が訪れた翌日の9月14日にダイヤ改正があり、最高速度が90キロとなった)、ほぼ同じ速さだ。最初は十数人いた乗客はだんだん減り、吉浜に着いたときは8人ほど。高校生は駅に着くとすぐに車に乗り込む。迎えが来ているようだ。明るいが無人の待合室を一歩出ると、自販機のほかに明るいものはない。1時間ほど待てば釜石への路線バスもあるが、日程の都合でここで折り返す。運転士は折り返しの間、時刻表の取り替えをしている。帰りの便に乗る人は私ひとりのみ。途中でひとり乗ったが、どこかで降りていった。

 今晩は盛から夜行バスに乗る。盛の停留所はサンリアというショッピングセンターにあるが、駅から歩いて5分ほどのところ。夕食を食べ、バス停に戻ると8人ほどが待っていた。岩手県交通の夜行バス、「けせんライナー」は21:20の発車時刻を過ぎてやってきた。3連休の前日のためか、今日は2台での運行。前のバスに乗り込む。余談だが、この「けせんライナー」、途中での休憩はない。車内にトイレと飲み物の用意はあるが、揺れる車内で歩きたくはない。いろいろ事情はあるだろうが、車外に出ることができる休憩はあるほうが望ましい。三陸側ではこまめに停まる「けせんライナー」だが、東京は池袋1か所のみ。事前のアナウンスがあるかと思ったら、何のアナウンスもなく、いきなり池袋に着いた。(続く)

| | Comments (0) | TrackBack (0)