名松線の部分バス化はやむを得ず
2年ぶりに日本に上陸した台風18号。この台風は、松阪と伊勢奥津とを結ぶJR名松線に大きな被害を与えました。松阪-家城間は被害が小さかったこともあり、1週間ほどで復旧しましたが、家城以遠の被害状況はかなりのものでした。そこでJR東海は、家城-伊勢奥津間の鉄道での復旧をあきらめ、今後もバスによる運行を続ける方針です。
もともと名松線は、松阪と名張とを結ぶ目的で建設された路線でした。しかし、建設途中の1930年に、大阪と伊勢とを結ぶ参宮急行電鉄(今の近鉄大阪線・山田線の一部)が開通。最新鋭の電車が名張と松阪とを通りました。こうなると名松線の建設の意義を失います。結局、名松線は伊勢奥津で止まってしまい、名張まで全線開通することはありませんでした(伊勢奥津-名張間は三重交通のバスが運行)。
国鉄末期には大きなピンチがありました。輸送量が極めて少ないため、廃止の対象になりましたが、並行する道路が整備されてなかったことから廃止をまぬがれました。しかし、1日5.5往復運転される家城-伊勢奥津間の代行バスが、鉄道とほとんど変わらない時間(便によっては、鉄道よりも速いものもあり)で走ることを考えれば、JRになってからの20年間で道路が整備されたということになります。「並行する道路がないから鉄道を残さないといけない」という理屈は成り立たなくなったのです(このような区間は名松線だけではありません。ほかのローカル線にも見られます)。名松線家城以遠は、地形が厳しいこともあり、安全を確保するため、急カーブや急勾配ではスピードを落とし、1時間に20ミリの雨で運転を見合わせていました。幹線ならちゃんと整備をするのですが、その必要性がなかった区間でした。多額の費用をかけて復旧したとしても、また同じように被害にあう可能性があり、復旧するだけの効果がありません。
名松線の利用者は減り続けています。JRになってからの20年余りで、名松線全区間では約60%減りました(1日当たりの各駅の乗車人員の計は700人)。特に家城以遠の落ち込みは大きく、約80%減っています(1日当たりの各駅の乗車人員の計は90人)。細かく見ると、JR発足後10年ほどは、名松線全区間も家城以遠も同じように減り、利用者は1987年に比べてほぼ半減しました。しかし、ここ10年は、全区間でみるとほぼ横ばいであるのに対して、家城以遠はまた半減しています。バスで輸送できることは明らかです。わざわざ大金をかけて復旧させる価値はないでしょう。バスでも運賃水準が変わらない以上、赤字でしょうが、それでも復旧にお金を投じる必要がないだけ安上がりだと思われます。維持費も減ると思われます。
鉄道での運行を止める家城以遠も、運賃は現状のものが維持されます。鉄道車両が来ないとはいえ、JR東海の一路線でありますので、正式には「廃止」に当たらないとも考えられます。名松線の厳しい現状を考えると、部分バス化はやむを得ない状況でしょう。正式に廃止され、JRから切り離され、運賃が値上げされるよりかは良いと思ったほうがよいでしょう。冷静に考えると、このようなローカル線の部分バス化に反対することはできません。
(参考:JR東海ホームページ http://jr-central.co.jp/news/release/nws000410.html、「全国鉄道事情大研究 名古屋都心部・三重篇」 川島令三著 草思社)
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