おはようございます。
24日のことですが、大阪府議会は、自民、公明などの賛成多数で、中長期的に伊丹空港の廃港を考えるという内容の決議案(「関西国際空港のハブ化の実現を求める決議」)を賛成多数で可決しました。まずは伊丹と関空の経営統合を行い、伊丹の収益で関空の赤字を埋めます。併せて、鉄道アクセスの改善を行い、中長期的に伊丹空港の廃港を考えるというものです。
この決議案について、会派として賛成したはずの自民、公明の議員のうち、伊丹空港に近い北部の議員が反対に回ったようです。また、この決議に法的拘束力はありません。しかし、国土交通省の成長戦略会議が行われている状況で(途中経過に関する記事はこちら)、地元の意思を示したものであります。地元として伊丹の廃港も考えている、というシグナルを国に送っています。明らかに伊丹空港のほうが近いところに選挙区がある議員が多いです。それなのに、見た目の便利さにとらわれずに、長期的な視野で条件付きながら伊丹の廃港に賛成したのです。その見識は立派でしょう。
それに引き換え兵庫県は困ったものです。県知事をはじめ県は、今なお3空港が並立できるという夢のような話を信じているのですが、県議会も追随してしまいました。前日の23日に伊丹空港の存続を求めるという決議を可決したのです。本当に3つをうまく並立させるプランがあるのでしょうか?
幸い、伊丹空港は「便利」といわれるだけに空港がなくなっても周辺地域は生きていけます。空港用地を何らかの用途に転換することができます。はっきり言って、関西の航空需要が爆発的に増えるという楽観的な予測は考えられません。撤退するのも体力が必要です。減ってからでは遅いのです。東京に行くのに一定数の人が航空機を使ってくれる今のうちに撤退を考えておく必要があるのです。
(参考:Yahoo!ニュース http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100324-00000595-san-soci)
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鳥羽と伊良湖とを結ぶ伊勢湾フェリー。約23キロの航路を、平日は8往復、休日は9往復しています(お盆などは増便あり)。車だと名古屋を回らないといけないのですが、船だと一直線。関東や静岡からも便利なルートです。
しかし、この鳥羽と伊良湖を結ぶ航路も、9月で廃止されてしまいます。すでに2007年に鳥羽と常滑(中部空港開港前の2005年までは師崎)とを結ぶ航路が廃止されていますので、これで伊勢湾フェリーの運航する航路は無くなってしまいます。伊勢湾フェリーの会社自体が清算され、従業員も解雇されてしまいます。
鳥羽-伊良湖航路もかなり利用者が減少しました。利用者が一番多かったのは、志摩スペイン村が開園した1994年のことです。約116万人が利用しました。しかし、2009年度は1/3以下の約35万人になる見込みです。
なぜこんなにも利用者が減ったのでしょうか? ひとつのきっかけは、2004年の伊勢湾岸道の全線開通。伊勢湾岸道も名古屋を回ることには違いないのですが、南をかすめるだけなので、所要時間の短縮につながります。フェリーとの差が縮まります。そして、決定的となったのが、ETC利用者の1000円乗り放題の割引。債務が約22億円に膨れ上がり、航路の廃止に追い込まれたのです。車のみを重視する政策が航路を廃止に追い込んだのです。宇野と高松とを結ぶフェリーの廃止(後に撤回、ただし根本的な解決はなされず)と同じ構造ですね。
当分は選挙対策の車優遇政策は続くでしょう。国会議員が次の選挙を心配している間に、冷遇される公共交通の廃止や減便が続きます。次はどこが悲鳴をあげるのでしょうか?
(追記1)
伊勢湾フェリーが廃止になった原因として、ルート変更後2年で廃止になった鳥羽と常滑とを結ぶ航路の失敗を挙げる見かたもあるようです。中部空港開港に伴い、従来の師崎から常滑に移すときにカーフェリーを2隻と、空港に専用ターミナルをつくりました。この費用が伊勢湾フェリーの体力を奪ったようです。
(追記2)
ところが、その伊勢湾フェリーに大きな動きがありました。
伊勢湾フェリーの株はこれまで、近鉄と名鉄が半分ずつ所有していました。しかし、この一部を地元自治体(三重県、愛知県、鳥羽市、田原市)が引き受けることにより、航路を存続させる方向です。8月20日に開かれる「鳥羽伊良湖航路対策協議会」(地元自治体2県2市などで構成)でこの方針が了承される見込みで、伊勢湾フェリーが中部運輸局に出している事業廃止届も取り下げられることになります。
(参考:朝日新聞3月25日朝刊 中部14版、東日新聞ホームページ http://www.tonichi.net/news.php?mode=view&id=31824&categoryid=1、Yahoo!ニュース http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100807-00000014-maip-soci)
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今ではすっかり脇役的な存在になってしまいましたが、かつての近鉄の看板列車といえば「ビスタカー」。2階建ての特急です。4両編成のうち、中間の2両が2階建てとなっていて、高い位置からの展望を楽しめる階上席とセミコンパートメント的な階下席から成り立っています。階下席は、車両の中間にある扉の前後に6人ずつの座席があります。2階建て車両は1編成に2両ありますので、1編成では4箇所存在することになります(定員は6×4=24人)。
これまでは、階上席も階下席も1席単位での販売となっていました。普通に座席が並んでいる階上席のほうは全然問題ないのですが、6人のセミコンパートメントとなっている階下席のほうは、グループ客の中にぽつんと1人だけ混じって、いやな思いをしてしまう危険性があります。
そこで近鉄は、4月29日乗車分から階下席の販売方法を変更することにしました。階下席は、3~5人のグループに対して販売します。1グループだけで独占することができ、ほかの乗客と相席になることがありません。家族や仲間だけで楽しむことができます。
階下席の特急料金は、グループの人数分の特急料金と同額です。子供の場合はちゃんと半額で計算されます。販売は、特急券発売窓口に限られ、特急券自動発売機やインターネット予約発売サービスでは行いません。
また、同じ4月29日から、階下席のデザインを改造した車両が走り始めます。ヨットのキャビンをテーマとしたものになります。当面は1編成のみを改造し、平日に2往復・休日に3往復しますが、今年の秋以降に残る14編成も改造する予定です。
参考にした近鉄のホームページには、階下席のイメージも載っています。ソファに座っている感じで、家族や仲間と「ビスタカー」でワイワイガヤガヤと行きたくなるような気分がしますね。
(追記)
2017年1月1日に実際に乗車したところ、今回のリニューアルでは、トイレも温水洗浄便座となっています。
(参考:近鉄ホームページ http://www.kintetsu.jp/news/files/20100319VISTA.pdf)
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こうしてDMVの試乗を終えたが、実際に導入するには課題が多い。2人いる運転士の問題(鉄道とバスの両方の免許を持てば1人でよいだろうが、育成コストがその分かかる)、スピードの問題(並行して走る車より速くないと、線路を走る意味がない)、線路の保安の問題(線路閉鎖に数分もかかるなら、駅で乗り換えても時間のロスはない。また、踏切ごとに係員を置くのはコストの面から事実上不可能)、運賃制度の問題(車両は直通しても、運賃は鉄道部分とバス部分を分けて計算するのか?)などいくつか考えられるが、法律の整備や規制緩和で解決できる可能性はある。根本的な課題は、キャパが小さいこと。鉄道としては需要が小さくても、バスならそれなりに需要があるだろう。DMVは鉄道車両よりは安いが、普通のバスに比べれば(特殊な仕様であるため)コストが高い。詰め込みの利く路線バスでないと難しいだろう。現状のマイクロバスベースなら、それなりの料金がとれる観光用しか無理だ。
また、バスの大型化という課題をクリアしても、まだ課題はある。わざわざ複雑な機構のDMVをつくらなくても、線路を舗装すればいいのだ。通学需要のある朝夕はディーゼルカーを走らせ、客の少ない昼はバスを走らせるのだ。これならコストは安い。
特急の走る幹線や大都市圏の通勤鉄道の利益に甘えることのできるJRのローカル線ならともかく、第三セクターの場合はシビアな判断に迫られる。「鉄道のある町」という看板を維持するためにある程度の赤字を認めるとの考えもあるが、なかなかそのような判断は難しいだろう。単に帳簿の赤字を見て、「赤字だから無駄」という判断しかできないのが一般的だろう。現状ではDMVには解決すべき課題は多く、このままではローカル線の救世主にはなれないのだ。
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ようやくDMVが線路上を走りはじめた。貨物用として使われていた(今は当然ながら貨物はない)側線から、本線に入る。バスとしての乗り心地は問題なかったが、線路を走るとレールの継ぎ目を拾い、乗り心地は良くない。ガタゴトと揺れる。その割にはスピードは出ていない。これなら道路をそのまま走ったほうが速い。DMVは時速75キロを出す性能があるが、今回はあくまでも実験のため、工事車両扱いとなり、明知鉄道の規定により時速40キロに制限されるようだ。踏切には安全のため、係員が立っている。警報機も遮断機もない、第4種踏切も例外ではない。小さな踏切にも係員が立っている。実証実験だからできることである。
途中の駅を全て通過し(もっとも、向かって右側にホームがある駅では、停まりたくても停まることができない。本格運行をするときはDMV用の小さなホームをつくるのだろうか?)、明智へ。駅の直前で停まる。実はここがモードインターチェンジだ。しかし、線路から出るほうのモードインターチェンジは構造が簡単。線路を舗装するだけでOKなのだ。線路から出たら、線路閉鎖の手続きも解除しておく。これも出るときは簡単だ。
道路に出たらまず向かったのが日本大正村。大正時代の建物が残っており、観光スポットとなっている。食べものもコロッケやハヤシライスのような洋食があるようで、そういう面でも楽しむことができる。ただ、残念なことに、今回はDMVからの車窓見物のみ。時間をとって訪れたいところである。
DMVはこれから岩村に戻るのだが、3日間とも午後一番に出る便は、明知鉄道から大きく外れて、道の駅の「おばあちゃん市・山岡」に寄る。明智から国道363号を西に走り、いったん恵那市を出て、瑞浪市に入る。その後、国道からも外れ、しばらく進むと、ダム湖のほとりに大きな水車が見えてくる。日本一の木造水車がシンボルの「おばあちゃん市・山岡」だ。ここで25分の休憩となる。地元の野菜や特産品の寒天のほか、ほかの道の駅の特産品も売られている。
DMVは道の駅を出て、出発地の岩村駅前に戻る。座席に置かれていたアンケート用紙に記入し、DMVを降りた。(続く)
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駅に戻ると、ちょうどDMVも駅に戻ってきたころだった。しばらくして3便の受付開始。試乗モニター当選のハガキを渡し、名札と小さなバックを受け取る。バックには、DMVのパンフレットとクリアファイル、恵那市の観光パンフレット、「おらが焼」という手焼せんべいが入っている。ちなみにバックは恵那市の観光すごろくとなっている。大雑把に言って、表が合併前からの恵那市、裏が岩村や明智など合併によって恵那市になったところだ。
発車時間の13:15が近付いたため、3便の乗客が集められる。この3便もスーツを着た関係者らしき人がたくさんいる。雑誌の記者もいた。
DMVはマイクロバスのサイズなので、補助席をフルに使っても24席(運転席を含む)しかない。しかも今日は実証実験だからか、鉄道(明知鉄道)とバス(東濃鉄道)の運転士のほかに、線路担当の明知鉄道の担当者、車両担当のJR北海道の担当者、ガイド役の恵那市の職員の5人がいる。受け取った名札には名前は書かれていないが座席番号が書かれてあり、奥のほうから詰めていく。キャパは鉄道車両は当然のこと、路線バスよりも小さいのだ。ローカル線とはいえ、路線バスよりも小さい車体では需要に対応できないだろう。観光用ならともかく、通学の足としてはそこの改善が必要だ。DMVは鉄道区間では連結してひとりの運転士で走らせることもできるが、今のところ2両までだ。
時間になり、3便は岩村駅前を出発。3便はすぐに駅裏にまわり、モードインターチェンジに入る。運転士の交替とモードの切り換え自体はすぐに終わる。前のタイヤは線路に接しないため、前だけを少し浮かす。しかし、時間がかかるのは線路の閉鎖。余裕を持って10分もとっている。これなら十分、バスから鉄道への乗り換えができる。時間が余っているので、まわりの見物客用にモードの切り換えを何回も行っていた。(続く)
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いよいよ2便の出発時間だ。事前に公募されたモニターのみがDMVに乗ることができる。ただ、2便の客は報道関係者が多く、実質的なモニターは少なそうだ。
岩村を10:35に出た2便は、いったん駅を離れ、歴史資料館に寄ってから再び駅に戻るコースをとる。その間に、駅の裏側にあるモードインターチェンジに行く。専用のガイドウェイがあり、線路と車輪の位置合わせを行なうことができるモードインターチェンジで道路から鉄道に入るのだ。190円の入場券を買えばそのまま駅を突き抜けて最短コースで駅の裏側に行くことができるのだが、まだ時間があるので、入場券を買わずにぐるっとまわって裏側のモードインターチェンジに行く。
DMVがモードインターチェンジにやってきた。DMVはモードインターチェンジに入り、いったん停止。ここでバスの運転士から鉄道の運転士に代わり、鉄道用の車輪を降ろし、前の部分だけ浮かせることにより(これにより前のタイヤが上がる)、DMVは線路を走ることができる。後ろのタイヤは線路の上に載る格好となり、このタイヤの伝える動力でDMVは線路上を進むのだ。モードの切り換えはすぐにできるのだが(10~15秒でできる)、実証実験のため線路閉鎖の手続きが必要となる。線路閉鎖とは、列車が通らないようにする手続きである。これをしないと列車が線路を走ることができるため、DMVが線路上を走ることができないのだ(衝突の危険がある)。
DMVが明智に向かって走り出したので、戻ってくるまでの間はすることがない。昼食を兼ねて、古い町並みの散策に出かける。お昼は茶店みたいなところでとろろの定食を食べ、お土産にはカステラを買った。ここ岩村のカステラは、昔ながらのもので、ポルトガルから製法が伝わったころのものを守っている。(続く)
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中央線では珍しい、311系が使われた快速(名古屋8:17発、311系4両の後ろに313系2両をつないでいる)を恵那で降りて、明知鉄道に乗り換える。乗り換え用の改札はあるが、中央線の「TOICA」対応の定期券を持っているので、いったんJRの駅を出て、明知鉄道の駅に向かう。窓口で買った切符は今どき珍しい硬券だった。
ベルが鳴り、恵那9:27発の明智行きが出発。1両しかない車内は混んでいて、私も後ろに立つ。列車は中央線と別れて、坂を登っていく。途中の駅では降りる人はいるが、乗る人はいない。明知鉄道唯一の交換駅、岩村に着いた。私も含めてDMV目当てか、大量に降りて、車内はガラガラ。
駅を出ると、すでにDMVが停まっていた。DMV(Dual Mode Vehicle)とは、JR北海道が開発した、線路と道路の両方を走ることができる車両。JR北海道の路線は鉄道の維持が困難なローカル線が多く、その解決策としてDMVがつくられた。釧網線の網走近辺のほか、岳南鉄道などで実験走行の実績がある。今回、恵那市がDMVをJR北海道から借り、明知鉄道を舞台に実証実験を行うことにした。もともと国鉄だった明知鉄道もほかのローカル線と同様に利用者が少ない。そこで、(多少の改造は必要だが)既存の線路と道路を活用でき、(バス車両をベースにしているため)維持コストが低いDMVの導入を考えているのだ。実証実験は昨年から行われているが、3月20日から22日までの3日間、モニターを募っての実証実験を行った。3日間で11便を運行する。
駅前には、明知鉄道に乗ってきた人のほかに、地元の親子連れ、式典の後なのかスーツを着た関係者もいる。マスコミも来ていて、JR北海道の担当者にインタビューをしていた。(続く)
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おはようございます。
3連休初日の20日、明知鉄道でDMVという乗り物に乗ってきました。
明日から何回かに分けて、そのときの乗車記を書きます。
(参考:試乗のときにもらったDMVと恵那市の観光パンフレット、「明知鉄道におけるDMV実証実験」「てくてく恵那を歩いていこう」)
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一時検討されましたが、利用者の反対もあり立ち消えになった首都高速、阪神高速の「対距離料金制」への移行。ところが、その話がまた出てきました。「1000円乗り放題」などの高速道路の割引制度を縮小して、それで余ったお金を高速道路の建設に充てるのです。首都高速や阪神高速の「対距離料金制」への移行もその一環です。どうやら、首都高速や阪神高速の利用者にとっては、(今まで高速道路を使わないような)短距離の利用を除いては値上げになってしまう危険性が高いです。
私たちが民主党に期待したのは、自民党政権ではできなかった今までのしがらみを打破すること。しかし、今民主党が熱心にやっているのは、いかに自民党をつぶすかということであり、国民の生活を向上させることではありません。これでは支持率が下がるのも当然です。民主党が政府に道路の整備を要望した、とのことですが、そんな要望をいつ国民がしたのでしょうか? かつては自民党を支持していた業界の要望に過ぎません。
当然ながら、政府の仕事の中にはインフラの整備という重要なものがあります。確かに現在では不十分なものがあり、これからも整備しなければならないでしょう。しかし、いわゆる「箇所付け」問題にしろ、民主党を支持させるための道具として使っています。露骨に権力を誇示するのです。われわれが民主党に期待したことではありません。投資効果などの科学的な分析で建設の是非を決めないといけないのです。
政権交替した時の初心に戻らないと、大きなしっぺ返しが待っていることでしょう。
(参考:Yahoo!ニュース http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100317-00000003-jct-soci)
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長い間、北陸線の普通電車は国鉄時代からの車両が使われてきました。急行型車両の475系を中心に、2扉セミクロスシートの近郊型に改造された413系が使われてきました。中でも特筆されるのが、寝台電車583系を改造してつくった419系。ドアは583系時代のものをそのまま使ったため幅が700ミリと狭く、乗り降りが不便で、地元からの評判はあまり良くなかったようですが、座ることができたら、そこはボックスシートとはいえ、元特急車。ゆったりとしたシートでのんびり過ごすことができました。
しかし、このような北陸でも新型車が投入されつつあります。3扉転換クロスシート、223系の交直流タイプともいえる521系です。今月のダイヤ改正でも増備され、金沢まで足を伸ばすようになりました。淘汰されるのは、当然、国鉄時代からの旧型車両。これからもどんどん数を増やし、2015年の北陸新幹線金沢開業のときには、普通列車も(JR発足後につくられた)新型車両で統一されることでしょう。
そうなると苦しくなるのは419系。実は、来年3月までに引退するのです。キハ58系と同時期なのです。昨年の年末、419系とキハ58系に乗ってきましたが、それが最後の乗車になるのでしょうか?
(参考:YOMIURI ONLINE http://osaka.yomiuri.co.jp/teppan/tr100219a.htm)
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武豊線は、大府から知多半島の東側を通って武豊まで行く路線。資材運搬線としてつくられた路線なので、開業は1886年と非常に早いです。それ以来、武豊線は単線非電化で推移しています。国鉄時代はともかく、JRになってからは快速「みえ」でも使われるキハ75系が30分間隔で運行され、それなりのサービスレベルとなっています。
しかし、非電化であることには変わりありません。非電化路線なので、(電化されている)東海道線などとの車両の共通化ができないという問題点がありました。そこで、JR東海は、武豊線を電化することにしました。電化にかかる費用は、地上設備が32億円、車両が50億円です。電化の完成時期は、今から5年後の2015年春です。
武豊線には、313系28両が投入されます。現在武豊線で走っているキハ75系は高山線に転用します。(非電化ですが、名古屋に近いことからそれなりに需要がある)高山線・太多線の岐阜-美濃太田-多治見間で使用するのでしょうか? JR東海は、313系120両を投入して国鉄時代につくられた117系・119系を全廃する計画です。そうなると残る国鉄型車両はキハ40系。最終的にはキハ40系が廃車されるのでしょう。
なお、武豊線にはキハ25系、10両(2両編成5本)を投入する計画があります。キハ25系は313系のディーゼルカーバージョンなのですが、その計画はどうなるのでしょうか? もともと武豊線のキハ25系投入は武豊線自身の改善ではなく、伊勢神宮の式年遷宮に対応するためのものでした。キハ25系投入で余った車両を快速「みえ」の増結用にまわす計画だったのです。武豊線での使用期間は短くても高山線などの転用先で使えますから、車両の製造計画そのものには変更がないと考えられます。
ともかく、武豊線は電化され、便利になります。ただ、これまでもキハ75系という高性能の車両が入っているので、大幅な改善は望めません。高性能の電車の性能を活かすために線路の改良を行うとともに(最高速度を120キロにする)、現在朝夕のみの運転となっている名古屋までの直通を日中でも行うことが大切なのではないでしょうか?
(参考:JR東海ホームページ http://jr-central.co.jp/news/release/nws000490.html、鉄道コム http://www.tetsudo.com/news/253/313%E7%B3%BB%E3%81%A8%E6%96%B0%E5%BD%A2%E5%BC%8F%E3%81%AE%E3%82%AD%E3%83%8F25%E5%BD%A2%E3%82%92%E6%96%B0%E8%A3%BD%E3%80%80JR%E6%9D%B1%E6%B5%B7/)
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次に乗る名張行きのバスは2時間以上後。それまで駅の近くで過ごすことになるが、駅の周りには店がない。伊勢奥津はかつて伊勢本街道の宿場町だったが、食堂もパン屋もない。こういう事態も予測して松阪でうどんを食べてきたので、最悪の事態は免れたが。
少し歩くと1軒、店があった。地元商工会婦人部がやっている店で、「かわせみ庵」という。古い民家を改装して昨年オープンしたが、名松線の部分代行バス化で利用者が減ったとの話。鉄道があったときは最終を除いて全部伊勢奥津まで行っていたが、代行バスになってからは日中の2往復が家城止まりになったのも影響しているのだろう。バスは1台あればいいダイヤだから、問題は運転士のほう。地元自治体は名松線の部分代行バス化に反対し、鉄道の復旧を強く望んでいるようだが、単に要求するだけでは通らない。家城以遠の利用者が極めて少ないことは事実だから、代行バス化を受け入れ、その中でいかに改善を図るかが重要だろう。増便、停留所の増設、学校や病院があればそこに寄るなどの改善ができればよい。話を元に戻す。「かわせみ庵」は土日の8:30から15:00まで営業している。ここで山菜おこわを買い、電子レンジで温めてもらい、店の中で食べる。
いよいよ奥津駅前14:52発名張行きのバスに乗る。バス停は駅からほんの少し下ったところにあるが、時刻表を見て驚いた。これから乗るバスは、4月1日のダイヤ改正で消えてしまうのだ。名張に行くのは、通学用の朝の便たった1本しかない状況になるのだ(途中から本数が増える)。休日のみ運転されている(平日は途中の停留所止まり、ただし乗り継いで名張に行くのは可能)奥津駅前14:52の便が廃止になるのだ。そうなると1日で名松線を使って松阪から名張に行くことができなくなる。反対側はダイヤ改正後も名張から松阪まで1日で行くことが可能だが、名張を出るのが17:15(発車時刻は奥津駅前の隣のバス停、川上口の発車時刻から推定)の1本だけなので夏でも松阪に着いたときには真っ暗だ。確かに伊勢奥津を出たときには、私以外誰も乗っていなかったので、朝夕の通学需要に特化するのはやむを得ないことだが。
バスは国道368号線を進むのだが、とても国道とは思えない区間が多い。すれ違うことが困難なところが多いのだ。バスはいったん奈良県宇陀郡御杖村に出て、再び津市に入る。ここ太郎生<たろう>地区は、いったん名張市か御杖村に出ないとほかの津市内に行くことができないという、事実上の飛び地だ。集落の停留所から3人が乗ったが、しばらくするとひとりずつ降りていった。
バスは名張市に入る。しばらくすると、いくつかの停留所で客が乗り、名張に数分遅れで到着したときには、10人も乗っていた。
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駅員からタブレットを受け取り、11:18の家城行きが出発。松阪発車時点で13人が乗っていた。名松線はしばらく紀勢線と並行して走っていたが、やがて分かれ、1本の細い線路を辿っていく。終点の家城まで1本の道。かつては2、3駅ごとにすれ違いすることができたようだが、今では途中の交換設備は取り払われている。
乗り降りがほとんどないまま、終点の家城に到着。ここは名松線唯一の交換駅だったが、家城で打ち切られた今では、駅舎側のホームだけが使われ、反対側のレールは錆びている。駅名標も伊勢奥津側の駅名が消されている。もう復旧することはないというJRの強い意思を示しているかのようだ。改札を抜けると、伊勢奥津行きの代行バスがすでに停まっていた。一応はJRの路線だが、実際の運行は三重交通が行っている。列車はワンマンカーなのに、バスは運転士のほかに係員がひとり乗っている。9人の客を乗せてバスは出発した。
バスは家城を出ると、駅付近を除いては整備された県道を進む。列車の通らなくなった線路も見える。踏切や橋にはロープが張られ、線路への侵入を防ぐ措置がとられている。しばらくすると、少し賑わっているところがあった。旧美杉村(現:津市)の中心部、伊勢八知だ。飲食店もいくつかある。ここで2人が降りた。
ここからは比津に寄るため細い道になる。ただ通れないほどではない。家城を出てから30分あまり、鉄道時代とほとんど変わらない所要時間で伊勢奥津に着いた。駅はコミュニティセンターの一角にある。コミュニティセンターではカラオケ大会が行われているようだ。(続く)
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名古屋9:35発の快速「みえ1号」に乗る。発車5分前に駅に着いたが、4両つないだ車内の椅子は埋まっている。先頭の1号車は指定席(通常は1号車の前半分のみが指定席たが、今日は1号車全体が指定席となっている。4両に増結されているためか)。ほかの車両と同じ3扉転換クロスシートで510円を取るのだが、それでも満席だ。いつもは指定席のところだけ空いている快速「みえ」だが、何があったのだろうか?
桑名で降りる人がいて、座ることができた。しかし、車内は混んでいる。椅子はほとんど埋まっているし、立っている人もいる。伊勢まで行く観光客が多いようだ。
松阪では30分あまり時間があるので、少し駅のあたりを歩く。伊勢奥津で食べるところがないかもしれないので、駅の立ち食いうどんの店で伊勢うどんを食べる。ホームに入ったら、すでに家城行きのワンマンカーが停まっていた。キハ11が1両で走る。(続く)
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おはようございます。
13日の土曜日に、名松線とバスを乗り継いで、松阪から名張へ行きました。
明日から何回かに分けて、そのときの乗車記を書きます。
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様々な路線が集中する岡山駅。山陽新幹線から山陰(米子・松江・出雲方面)や四国方面への重要な乗換駅です。
ここ岡山駅から、吉備線というローカル線が出ています。備中高松を通り、総社にいたる約20キロの路線で、ディーゼルカーが日中は1時間に1本の割合で運転されています(備中高松まではほぼ1時間に2本の運転)。JRのローカル線としてはそれなりの数字ですが、「便利」とは言いにくいです。そこで岡山市は、吉備線をLRT化することを目指して、JR西日本と協議をはじめることになりました。その費用2400万円は新年度の一般会計予算案に計上しています。この2400万円で、JRとの適切な役割分担や運転コスト、採算性を調査、協議します。
もともと吉備線は、(LRT化された)富山港線と同様、JR西日本が維持管理費の安い路面電車への転換を検討していた路線でした。岡山市は検討を重ね、ようやくJR西日本と協議をはじめる段階に至ったのです。
JRの安い運賃では、大都市近郊みたいに利用者が多いか、(特急料金が高いために客単価も上がる)特急がたくさん走っている路線ぐらいしか採算が取れません。吉備線のように、それなりの都市から出ているローカル線では、ある程度の需要があっても採算がとれず、消極的な経営になってしまいます。ほとんど客が乗らないローカル線なら廃止してしまってバスに転換すればいいのですが、そういう訳にはいきません。しかし、中都市近郊の路線は、磨けばそれなりに利用される可能性が高いです。1時間に1本あるかないかという本数では、使いたくても使えません。こういう路線は結構多いのです。
富山港線から転換した富山ライトレールはいいお手本。かつては1時間に1本あるかないかという本数でしたが、今では15分間隔になり使いやすくなりました。JRにこだわっても何の進歩もありません。株主を気にして収支を第一に考えなければならない組織から、それなりの収支があればいいという組織に変わることにより(足らない分は税金で補填する)、利便性の向上を図ることができます。
吉備線の改善につながるLRT化を進めるとともに、このような動きがほかの線にも広がってもらいたいですね。
(参考:YOMIURI ONLINE http://www.yomiuri.co.jp/tabi/domestic/railway/20100306-OYT8T00578.htm)
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狭い範囲に3つもある関西の空港。滑走路が5本もあり、現時点では余っています。それでは、20年後はどうなっているのでしょうか? 国土交通省と関西経済連合会がその予測を示しました。
それによりますと、国際線はやや増えるものの、国内線の需要は大幅に減少。九州新幹線の全線開業やリニアの部分開業が影響し、3割も減るようです。特に、伊丹空港の利用者の減少は大きく、現在(2009年)の1400万人から900万人になるようです。
どう考えても3空港の維持は無理です。空港の整理統合を考えないといけません。それを考えると、伊丹空港の廃止を主張する大阪府橋下知事の主張は理にかなっていると言えます。もともと伊丹は関空ができれば消えてなくなる予定の空港だったのですから、廃止になっても理由の説明がつきます。「廃止」といってもすぐにできるわけではありません。空港がなくなって少々不便になる北部からのアクセスの向上も課題になります。関空への今のうちから廃止への道筋をつけておくことが大切でしょう。
それに対して、兵庫県はこの予測に反発しています。実はこの予測、関西の3空港のありかたについて考える「関西3空港懇談会」で2月に示されたものでした。ところが、そのときには数字が独り歩きしかねないとの理由で、非公表となりました。伊丹の利用者が大きく減るというこの予測については、大阪府は予測値の公表を求めていましたが、兵庫県にとっては都合が悪いので公表に反対していたのです。8日に事務方で行われたこの懇談会の会合では、兵庫県の担当者がこの予測は誤りで、羽田の国際化でむしろ伊丹の利用者は増える、と主張しています。
関西3空港問題の解決には、関西全体がまとまる必要があります。以前にも書きましたが、兵庫県は完全に足を引っ張っています。大きな視野で考えず、迷惑な存在ですね。
(参考:asahi.com http://www.asahi.com/kansai/travel/news/OSK201003090014.html)
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前の話の続きです。
亀山の接続は極めて悪い。しかし、そう言っても仕方ないので、いったん外に出て昼を食べる。食事を終えて駅に戻ると、加茂行きのディーゼルカーが停まっていた。キハ120の2両編成。しかし、レールバスタイプのキハ120は、JRとして経営が成立たないようなローカル線に向いたものであり、いつも2両で動く関西線には合っていない。姫新線のキハ127のように、2両固定編成のほうがよい。運転室もトイレも節約できる。車内は結構乗っているので、2両固定編成が妥当だ。
亀山を出て約1時間、月ヶ瀬の玄関口に当たる、月ヶ瀬口で降りる。梅のシーズンはここからバスが出るが、それも接続が悪く、50分待ち(運がよいと1分で発車というケースもあるが)。月ヶ瀬梅渓まで歩いて2時間かかるというので、バスの発車まで駅で待つことにする。ここの駅は「月ヶ瀬口」というが、実は京都府相楽郡南山城村にある。しかし、駅には何もない。平日の7時から15時までしか駅員はいない。梅のシーズンも例外ではなく、シャッターが降りている。駅前には1軒店があるが、ここも閉まっている。駅の北側には国道が走っていて車がよく通るが、駅を訪れる人はいない。月ヶ瀬からのバスがやってきた。このバスが月ヶ瀬へと折り返す。しかし、訪れるにしては遅い時間なのか、私以外の乗客はいなかった。駅で降りた人はそれなりにいたが。
奈良県に入ったと思ったらすぐ月ヶ瀬に着く。もともとは「月ヶ瀬村」といったが、今は合併して奈良市になっている。梅のシーズンのみの臨時バス停には、テントが張られている。帰るのに時間がちょうどいいのか、待っている客は多い。月ヶ瀬口からのバス停は「尾山口」といい、梅渓から離れたところにある。坂を降り、しばらく歩くと梅渓への入口がある。急坂を登るとあちこちで梅が咲いている。ちょうど見ごろのようだ。梅渓はダム湖を見下ろす位置にあり、売店もところどころにある。
尾山口16:00のバスで月ヶ瀬を後にする。来たときと同じバス、同じ運転士だ。月ヶ瀬へのバスは13時台がないが、運転士が同じ人であることを知ると、これはやむを得ないだろう。運転士の昼休みの時間なのだ。少し遅い時間なので、前の便より客は少なく、途中から乗ってきた人を含めても5人しかいなかった。
月ヶ瀬口でまた30分ほど待って、ようやく加茂行きのディーゼルカーが来た。ディーゼルカーはしばらく木津川沿いを進むが、突如としてマンションが立ち並ぶ。終点の加茂だ。国鉄時代は単なる中間駅に過ぎなかったが、JRになってからここまで電化され、乗り換え駅となった。ここからは20分間隔で運転され、利便性が高い。全列車始発なので、確実に座ることができる。非電化の加茂以東とは大違いなのだ。
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先週の土曜日(6日)は関西線で大阪に向かいました。その時の様子を書いていきます。
四日市までは、日中、1時間に快速2本(鳥羽行き、亀山行き)、普通2本(四日市行き)のパターンダイヤ。30分ごとに快速と普通が交互に走る。単線区間があり、特急や貨物が走るという厳しい条件でこのダイヤは、非常によくできている。四日市までという条件がつくが、30年ほど前まで電化すらされていなかった国鉄時代の関西線のイメージで見ると大間違いだ。こうなると、河原田以北の完全複線化をしたいところだ。利用価値の低い名松線をJRの負担で延命させるぐらいなら、その金で複線化投資をしたほうが有用だ。税金を投入してもよいだろう。さて、名古屋11:05発の快速亀山行きは313系3000番台2両編成のワンマン列車。ボックスに2人ぐらい乗る程度の混雑で発車する。パラパラと立っている人もいる。
快速は、四日市までの間、桑名を除いて停まらない。近鉄と同じ位置にある桑名では、降りる人が多い。反対に、街外れにある四日市では、逆に乗る人のほうが目立つ。普通から移ってきた人か、それとも近鉄の通らない亀山に行くためにJRを選んだ(選ばざるを得なかった)人なのか? 亀山までの各駅では、降りる人がそれなりにいる。
1時間ほどで終点の亀山に到着。しかし、ここからが問題なのだ。接続の加茂行きは38分も待たされる(亀山12:45発)。この列車だけが悪い組み合わせなのではない。ほかの列車も状況は同じだ。反対方面はさらに悪い。昼間は毎時35分に加茂からのディーゼルカーが到着するが、名古屋行き快速の発車は毎時23分。48分も待たされる。逆ならちょうどいいのだが。1日に数えるほどしか列車が来ないのならともかく、亀山以西も以東も1時間に1本のパターンダイヤ。いくら会社の境界にあるとはいえ、接続の悪さはある意味芸術的だ。
亀山以西の増発はまず無理だろう。しかし、亀山以東を増発するか(四日市で快速「みえ」と併結し、名古屋付近の混雑に対応?)、あるいは快速「みえ」と快速亀山行きとの順番を入れ替えて、スムーズな接続ができるようにすることが求められるだろう。悪い接続はすべてをダメにするのだ。
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2025年に東京(品川)-名古屋間が暫定開業すると言われているリニア新幹線。しかし、その雲行きが怪しくなっています。
リニア新幹線は、JR東海が自己資金でつくるものです。東海道新幹線によって稼いだ利益と借入金だけでつくるのです。2007年に発表された計画によれば、建設費が名古屋までで約5.1兆円かかりますが、東海道新幹線で稼いだ利益から毎年3000億円をリニアの建設費に充てることができるので、長期債務を4.9兆円に抑えることができます。この額ならリニアの稼いだ利益で返済でき、なおかつ新大阪までの全線開業ができるというのです。
しかし、このところの不況で、その計算が狂ってきました。JR東海の利益が減っているのです。2010年3月期の連結純利益は、2008年3月期の半分以下の、720億円となる見通しです。これではリニアの建設費も捻出できません。
JR東海は今も多額の債務を負っています。その額は約3兆円。今は低金利なので問題ではありませんが、国家の財政赤字が増えている現状を考えると(しかも、能天気なことに、その額を減らそうとはしていません。選挙で勝つことだけを狙い、歳出だけが増える一方なのです)、将来的には金利が上昇するリスクも十分考えられます。そうなると利子の支払いが増え、建設資金に回すことができません。そこで、JR東海は、2010年3月期決算を元に、建設資金計画を精査することにしました。
そもそも、世界では鉄道の新たな可能性に目覚め、高速鉄道計画が急ピッチで進んでいます。それなのに日本では、「整備新幹線は大赤字」というイメージ(実際には、どの整備新幹線も想定以上の成績を挙げています)にとらわれ、なかなか高速鉄道の建設が進みません。5兆もの巨大プロジェクトを、(巨大とはいえ)民間会社1社に委ねること自体がおかしいのです。日本は人口密度が高く、大量輸送ができる鉄道に適した国です。高速道路無料化などの道路優遇政策を改め、鉄道に適切な投資をする必要がありますね。
また、資金的には問題がなくても、地元自治体との問題があります。品川、名古屋などの大深度地下駅の建設や、南アルプスを貫くトンネルの建設に10年はかかるからです。早くルートを確定させないと、2025年に間に合いません。長野県は依然として、諏訪湖近辺に迂回するルートを主張しています。諏訪に100万都市があるならともかく、そうでない限り、わざわざ迂回させる必要がありません。建設費はかかりますし、開業後の大半の利用客に、所要時間の増加というかたちで不便をかけます。増加した建設費を払えばすむ問題ではありません(しかも、長野県は口だけ出して、金は出そうとはしません)。諏訪にリニアが通ることが許されるのはただ一つ、技術的な理由で南アルプスにトンネルを掘ることができなかったときだけです。当然ながら、諏訪経由になったとしても、リニアの駅は県にひとつだけです。諏訪と飯田で激しい駅誘致争いをしていただきましょうか?
そのような長野は論外としても、駅建設費を地元に求めるのは酷ともいえます。「1県1駅」はそれなりに妥協できる範囲でしょう。駅周辺の整備は地元の負担でしょうが、ある程度の施設はJR東海が用意しないといけないでしょう。
(参考:朝日新聞3月6日朝刊 大阪13版)
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「電車の運転士になりたい」という夢を子供のころに持っていたものの、それが叶わずに今を過ごしている方もいるでしょう。しかし、まだあきらめてはいけません。千葉県の第三セクター鉄道のいすみ鉄道が、その夢をかなえようとしています。
いすみ鉄道は、一般の社会人が、ディーゼルカーの免許をとることができる制度をつくりました。約1年半から2年の間、学科から実技まであらゆる訓練を行い、国交省の動力車操縦資格(甲種内燃)の取得を目指します。免許を取得した後は嘱託乗務員扱いとなり、週1回以上の割合でディーゼルカーを運転します。
ただ、一般の社会人が免許を取得するにはかなりの難しさがあります。まず、訓練生になった段階で、訓練にかかる費用700万円をいすみ鉄道に支払わないといけません(当然ながら自己都合で訓練を中止した場合でも、訓練費は返還されません)。しかも、週1回の出勤でよい学科訓練はともかく、乗務訓練は週3~4回の出勤が求められます。今までの仕事との両立はできません。しかも、免許を取るまでの間も給料は支払われますが、その額は最低賃金です。
いくら子供のころの夢をかなえる機会だとしても、金と自由になる時間の両方がないと難しいのです。
(追記1)
いすみ鉄道の700万円を払って運転士になるための訓練を受ける制度ですが、1週間で20人もの人が応募したため、1回目の募集が打ち切られました。
(追記2)
訓練費700万円を自腹で払って運転士になろうとした1期生4人は、3度目の挑戦となった2011年11月の技能試験で全員合格しました。今後は客への対応や非常時の訓練を行い、車内での試験に合格すれば契約嘱託運転士として1人で乗務を始めます。来年5月ごろの予定です。
いすみ鉄道では2期生2人もただ今訓練中で、2012年1月には3期生4人の募集説明会を予定しています。
(追記3)
お金を払って運転士になる制度は2016年の7期生で最後になりました。
(参考:いすみ鉄道ホームページ http://www.isumirail.co.jp/topics/100305.html、朝日新聞3月11日朝刊 中部14版、asahi.com http://www.asahi.com/national/update/1221/TKY201112200687.html、千葉日報ウェブ http://www.chibanippo.co.jp/news/local/314798)
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名古屋から高山へは、JRだけで行くよりも、名鉄で新鵜沼まで行ったほうが距離は短いです。そのため、名鉄は専用の車両を用意して高山線への直通列車を走らせてきました。戦後高山線への直通列車が復活したのは、1965年のことです。キハ8000系によって準急列車として走らせたのですが、のちに特急にまで格上げされました。また、一時は高山線を走破し、富山地方鉄道の立山まで運転されたこともあります。
しかし、国鉄がJRになり、高山線の特急「ひだ」が新型車両のキハ85系に代わると、キハ8000系はサービスレベルの低いものになってしまいました。そこで、1991年にキハ8500系が登場しました。キハ8500系は、JR東海のキハ85系に性能を合わせ、併結することもできました。
ところが東海北陸道が北へ伸び、高山市の隣の清見村(現在はここも高山市)まで延長されたため、JRに頼らなくても高山へのアクセス手段が得られることになりました。そこで、高山直通の使命を高速バスに譲って、キハ8500系の特急「北アルプス」は2001年9月で廃止されました。ただ、車両は10年しか使われていないため、会津鉄道に売却されました。
会津鉄道はこの車両を「AIZUマウントエクスプレス」と名付け、東武からの直通急行に連絡する快速列車として使うことにしました。2005年に急行が廃止されると逆に東武鬼怒川温泉まで乗り入れ、東武・野岩鉄道・会津鉄道・JR東日本の4社を直通する列車となりました。鬼怒川温泉では「きぬ」などの東武の特急と連絡し、たった1回の乗り換えで会津まで行くことができるのです。
説明が長くなりましたが、このキハ8500系、会津鉄道のホームページには今のところ記述がありませんが、どうやら4月で引退するようです。名鉄時代を含めてわずか20年。早すぎる引退です。
キハ8500系は名鉄では特急として使われた車両。接客設備は優れていますが、第三セクターの私鉄には使い勝手の悪いものだったのでしょう。ローカル列車としては、1両でワンマン運転できる車両のほうが使いやすいです。東武に乗り入れ、浅草まで行けばこの設備も有効活用できたでしょうが、5両では少なすぎます。東京(浅草)から日光・鬼怒川温泉方面への特急としては使えません。
おそらく、いろいろな意味で特殊な車両であることが寿命を縮めたのでしょう。
(追記)
キハ8500系は5月30日に引退します。当日は後継車両となるAT700系との新旧交代セレモニーが会津田島駅で行われます。
(参考:「鉄道ファン」2010年4月号 交友社、会津鉄道ホームページ http://www.aizutetsudo.jp/info/?p=376)
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最終運転日の前日の27日(土)。気合を入れ過ぎたか、発車1時間前の13:10に河原町に到着。6300系を待っている人は、先頭にたった1人のみ。13:20発の特急の発車を見送ってからいったん駅を出て、あたりをぶらぶらと歩く。こうやってぶらぶら歩くのもいいことだ。30分ほど(発車20分ほど前)で駅に戻ったが、それでも6300系を待っている人は、先頭に10人もいなかった。私も先頭車両の後ろの扉に並ぶ。一番前だ。でも、14:00発のロングシートの特急が出るころには、それなりに増えてきた。家族連れも結構いる。
一本前の特急が出てしばらくすると、梅田方から電車がやってきた。あれが待っていた6300系の特急だ。河原町14:10発である。乗客が降りてから乗るのだが、押し合うこともなく、楽に先頭車両のやや前寄りのところに座ることができた。満員で乗ることができないことも覚悟していたが(それだから1時間も前に河原町に来たのである)、2人掛けの転換クロスシートを1人で座ることができ、拍子抜け。
烏丸や桂で多くの乗客を乗せ、通路にも立つ客が多い。当然、座席は埋まっている。拍子抜けするぐらいの普通の車内。鉄道ファンで殺気立つことはない。駅などで撮影しているファンが目立つぐらいだ。このまま混雑は終点の梅田まで続く。
終点の梅田では、車止め付近で多くのファンが待っていた。ここはさすがに多い。でも、ホームの端のほうまで行けば、それほどでもない。先端部に行き、再び河原町へと向かう6300系特急を見送った。
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京阪間はJR、阪急、京阪の3社が並行し、互いに看板車両を投入してきた。JRは国鉄時代の1980年にこれまでの153系などに代わり、新快速用として117系を投入。2扉転換クロスシートの車内は、全国どこでも同じようなものが走っている国鉄としては異例のものであった。京阪はテレビ放送の開始直後から、特急にテレビを取りつけ「テレビカー」として走らせた(ただし、テレビはリニューアルにより撤去される)。3000系(後に8000系に編入)や8000系には2階建て車両を連結し、直通客に対するアピール効果は大きい。
さて、阪急が1975年に送り出した車両は6300系。扉を車端に寄せ、転換クロスシートが並ぶ。阪急の看板車両となり、鉄道友の会のブルーリボン賞も受賞した。
しかし、かつては大宮―十三間ノンストップだった特急が、JRの新快速に敗れ、途中の駅にこまめに停まる方針に転換。かつての急行並みによく停まるようになった。こうなると、2扉の6300系は使いにくい。そこで阪急は、一部の車両を支線の嵐山線向けにリニューアルし、2月末で京都線の特急からは引退させることになった。2月21日から28日までの8日間、平日は朝夕のラッシュ時も含めて河原町―梅田間を8往復(そのほかに河原町―桂間の普通もあり)、休日は午後のみに河原町―梅田間を4往復する。(続く)
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