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蒲蒲線の構想は戦前からあった?

 7日のことですが、交通政策審議会の答申案が出ました。このことについては後日、別記事で書きますが、その中に当blogでも取り上げたことがある、蒲蒲線があります。蒲蒲線は、東京都大田区を東西に横断する鉄道。東急とJRの蒲田駅と京急蒲田駅は約800メートル離れていますが、それを結ぶ鉄道をつくることにより、東急多摩川線と京急空港線の連絡を行い、東急線方面から羽田空港へのアクセスの改善を図ります。1987年ごろにこの蒲蒲線の構想が出ましたが、実はこの構想、戦前にもあったのです。

 戦前の蒲蒲線はモノレール(懸垂式モノレール)、鉄道の名前も羽田航空電鉄というものでした。1931年、鉄道大臣に対して蒲田-穴守間5.0キロの鉄道免許を申請しました。蒲田駅の東口を起点とし、国道(京浜蒲田(現:京急蒲田)の東側)など4駅を通って、現在の羽田空港B滑走路南端付近に終点の穴守駅を置く構想でした。

 当時はこのようなモノレールの構想は何件かありましたが(1901年にドイツで開業したモノレールの影響を受けたようです)、その大半は資金が乏しく、さらに大半の路線が既存の鉄道路線と並行することから、ほぼすべてが却下処分を受けました。羽田航空電鉄も資金面では問題がありませんでしたが、南側に並行する京浜電気鉄道穴守線(現:京急空港線)に影響を与えるため、申請から7か月後に却下されることになりました。

 その後、羽田へのアクセスとしてできたのが、御存じ、東京モノレール。浜松町から羽田空港に行きますが、1962年には蒲田や横浜からも羽田空港を目指す路線を申請しています。営業権を確保する狙いで申請したようですが、東京モノレールはオリンピック閉幕後、運賃が高額なため利用が低迷します。そのため、新しい路線をつくる余裕がなくなり、1968年、蒲田や横浜から羽田空港を目指す路線の申請は取り下げられます。

 そのまま、今に至るまで、東急とJRの蒲田駅と羽田空港とを結ぶ路線は実現しないままとなっています。さて、蒲蒲線は費用負担の問題を解決し、開業させることができるのでしょうか?
(参考:東洋経済ONLINE http://toyokeizai.net/articles/-/104361、東京新聞ホームページ http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201604/CK2016040802000151.html)

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