新潟なつかしの汽車旅
「新潟の五泉というところに『とりかん』というおいしい鳥料理屋があるから一緒に行かないか?」という友人からの誘いで今回の旅は始まった。もちろん、ただ単に行くだけではつまらない。いろいろ考えながら時刻表をめくっていくと、面白い列車が出てきた。その名は「レトロトレイン駒子号」。ノーベル文学賞を受賞した作家の川端康成の生誕100周年を記念して、越後湯沢の温泉街が企画したイベントである。
「レトロトレイン駒子号」は水上-越後湯沢間の運転なので、まずは水上まで行かなければならない。高崎までは電車が頻繁に運転されているが、私たちが選んだのは「EL&SL碓氷号」。この時点ですでに普通の旅ではない(電車で新潟に行くのに、新幹線に乗らないこと自体がおかしい話であるが)。肝心の蒸気機関車(SL)は高崎からの運転なので、煙を楽しむことはできないが、客車の旅は日ごろとは違った楽しさがある。列車が上野駅を離れた瞬間、酒盛りをはじめる人もいた。
高崎からは普通電車に乗り継ぐ。電車は山に向かって登り始める。今までの平面的な関東平野とは全く違った光景だ。水上は山の中の駅。上野からの特急列車もここで折り返す。ここから先の列車は夜行列車を除くと1日にたったの5本。旅客に関して言えば、完全なローカル線だ。
駅に着いてしばらく待つと、越後湯沢のほうから茶色一色の列車が現れた。あれが「レトロトレイン駒子号」。先頭に立つ電気機関車はEF58-61、お召し列車にも使われる機関車だ。そして、私たちが乗る客車は3両ある。中には内装が木でできた車両もあり、なつかしいというより逆に新鮮さを感じる。当然のことながら冷房はない。私たちが乗った車両は後ろ半分が荷物室となっていて、上越線建設の歴史などがパネルで展示されていた。
列車は走り出した。心地よい風が車内に入り込んでくる。記念の乗車証が配られ、テレホンカードや弁当の販売がある。テレホンカードを買うと、川端康成の小説、「雪国」の一節が書かれた色紙がついてきた。やがて湯檜曽<ゆびそ>の駅を通過し、国境の長いトンネルに入っていった。
トンネルの中は意外とうるさい、そして車内に入ってくる風が非常に冷たい。途中のトンネルの中の駅、土合では走行音の録音をしている人も見られた。この駅は地上から長い階段を降りたところにホームがあり、列車発車10分前に改札を通らないと間に合わないことで有名である。沿線には大きい機材を担いで撮影をする人もたくさんいた。私にはできる話ではない。
長いトンネルもいつかはくぐり抜ける。そして、トンネルを抜けてすぐのところに土樽駅がある。ここは「雪国」の世界では「信号場」であったところだ。この駅で約30分停車する。どうやら撮影タイムのようだ。時間があるので駅の外に出ると、関越道がすぐ近くを走っている。高速道路を快走する車を見ると、現実とのギャップを感じる。長い休みを終えた列車は再び走り出し、近代化された越後湯沢駅に到着した。
越後湯沢と五泉は同じ新潟県にあるとは言っても、かなりの距離がある。普通電車を乗り継いで、五泉に着いた。JRの駅から階段を降り、線路を渡ると、小さな電車がちょこんと停まっていた。あれが蒲原鉄道の電車だ。こちらもかなり古い電車で、走り出すとモーターのうなりが大きい。しかし、スピードはあまり出ず、車にどんどん抜かされていく。もともとが約4キロの短い鉄道(昔は信越線の加茂まで線路があったが、ずいぶん前に廃止されている)なので、たった8分で終点の村松についた。後は折り返しの電車に乗り、目指すは「とりかん」だ。
しかし、もうこの旅をすることはできない。新潟に行ってから約1か月後の10月3日、蒲原鉄道は廃止されたのだ。もっとも、モータリゼーションの進んだこの時期まで鉄道が残っていたこと自体が奇跡的であり、「よくここまで持ったな」というのが正直なところだ。鉄道が廃止された日には、多くの鉄道ファンが蒲原鉄道に集まり、最後の別れを惜しんだのであった。(終わり)
↑「レトロトレイン駒子号」の車内
蒲原鉄道村松駅にて↓
| Permalink | 0
Recent Comments