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2年ぶりの旅で長野、新潟へ(1)

 9月10日は「青春18きっぷ」の最終日。千種6:23発の普通中津川行きに乗り、終点の中津川で乗り換え。中津川でスーツ姿の通勤客は降り、観光客や登山客だけが乗り換える。中津川からの列車は2両編成と短いが、車両は転換クロスなので、車両は名古屋を走るものと変わりはない。後ろの車両に乗ったので、塩尻まで扉が開くのは木曽福島のみ。人の動きも同じように、目立つのは坂下、南木曽、木曽福島、奈良井ぐらい。

 塩尻で30分以上停まるので、40年ほど前まで駅のあったところに行く。東京寄りの南東側にあり、「しなの」のように名古屋と長野を結ぶ列車は塩尻でスイッチバックをしていたのだ。店もかつての駅のあたりのほうが明らかに賑わっている。駅に戻ると、中津川からの列車はまだ停まっていたが、客は降りていて、ガラガラになっていた。中央東線に乗り換えたか、先発で松本に行く普通に乗り換えたのだろうか? 代わりに車掌が乗り、松本近郊の列車に生まれ変わっていた。松本に近づくにつれ、だんだん乗ってくる。

 松本でも時間があったので、駅ビルで時間を潰し、少し早いがホームにある立ち食いそばで昼にする。大糸線の次の列車は松本11:20発の南小谷行き。進行方向左側にのみボックスシートがあるE127系の2両編成で、座席はかなり埋まっている。大糸線は元々私鉄だったので駅の間隔は狭く、駅もコンパクト。跨線橋ではなく、構内踏切で対応しているところもある。最初は混んでいたがだんだん降りていき、有明で車掌も降りてワンマンになった。その後も客は降りていき、信濃大町を過ぎるとガラガラに。

 松本から2時間ほどで南小谷に到着。糸魚川への接続が良くないので、ここで途中下車。13:35発の村営バス(実際の運行はアルピコ交通)で小谷温泉に行く。バスはマイクロバスでなく大型の車体だが、私1人しか乗っていない。バスは片側1車線の整備された道路をゆっくりと走り続けていたが、急に険しくなり、道も細くなると小谷温泉山田旅館。1555年に武田信玄の家臣によって発見された由緒正しい温泉で、明治時代にはドイツで開催された万国霊泉博覧会に日本を代表する温泉として登別、草津、別府とともに出品された実績がある。700円払って外湯に入る(元湯には入ることができなかった)。外湯は少し歩いた別館にあり、小さな内湯と露天風呂がある。日帰り入浴は15時までということだったので、短い時間ではあったが温泉を楽しむことができた。帰りは15:22発のバスに乗ったが、そちらには始発から乗ってきた登山客が1人いた。

 南小谷から再びJRに乗る。ここからは非電化なのでディーゼルカーになる。キハ120が1両だけで走るのだ。松本方面からの接続が良いので、南小谷発車時点で10人弱が乗っている。大糸線の非電化区間はかなり規格が悪いようで、減速しなければならない区間が多く、ノロノロと走る。余りにも需要が少ないので、こうやってノロノロ運転ながらも残っているだけありがたい部類なのだろう。途中駅で乗る人が若干いたので、10人ほどになって糸魚川に着く。(続く)
(参考:小谷温泉山田旅館ホームページ https://otari-onsen.net)

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