たべちゃんの飛騨路旅日記(1)

2000年7月30日 野麦峠

 野麦峠は岐阜県高根村と長野県奈川村の境に位置し、標高は1672メートルである。現在はドライブの車ぐらいしか通らない寂しい峠であるが、かつては人や物が盛んに行き来していた峠であった。明治時代に日本の産業を支えた女工の話(「女工哀史」)はあまりにも有名である。古ぼけた2軒の茶屋が当時の雰囲気を出している。

 しかし、野麦峠にあったのはそれらの古い茶屋だけではなかった。どう考えてもこの寂しい峠に似合わないコンクリートの建物がある。名前を「野麦峠の館」といい、峠に関する博物館は全国的に見ても珍しい存在のようだ。

2000年8月5日 高山屋台会館

 飛騨の国の人は古くから都に、税金の代わりとして毎年100~150人の人を送り出した。彼らは奈良や京都の寺などの建築に従事し、建築の技をみがいたのだ。いわゆる「飛騨の匠<たくみ>」だ。

 江戸時代、今までの京都の文化に江戸の文化が混ざり、高山の町の人々は町ごとに華やかな装飾をつけた屋台をつくった。現在は23台が残り、春と秋の祭りの時におよそ半分ずつ曳き出される。その、年に1回しか見ることができない華やかな高山の屋台を年中見ることができるのが、高山屋台会館である。中にはガイドがいるので、その人の説明を聞けば、理解がしやすい。

 高山屋台会館の隣にあるのが、桜山日光館である。大正時代に高山の技術者33名が15年もの歳月をかけてつくった、日光東照宮の10分の1の模型はあまりにも精巧であり、本物そっくりである。でも、本物の日光にも行ってみたいなぁ。

2000年8月6日 白川郷

 昔は冬になると交通が遮断され、「秘境」とも言われていた白川郷だが、最近は道路が改良され、また1995年にはユネスコの「世界遺産」に指定され、多くの観光客が訪れるところとなった。到着したときはもうお昼だったので、お昼を食べてから出発。

 最初に訪れたのは、「どぶろく祭りの館」。白川郷では自分たちでつくった「どぶろく」を振る舞う「どぶろく祭り」があり(9月下旬から10月中旬にかけて、5つの神社で開催される)、本当はその祭りの時だけ飲める「どぶろく」がここでは年中飲めるのである。

 次に訪れたのが、明善寺。合掌造りの家が立ち並ぶ白川郷にあるためだろうか、ここも合掌造りのお寺である。200年前につくられた庫裡は実際に使われた民具や農具が展示された資料館になっている。

 帰りは平瀬温泉の共同浴場で汗を流した。でも、アルミの浴槽なんて、風情がないなぁ。(注:後にわかったことであるが、平瀬温泉の浴槽がアルミになっているのは、温泉の成分に硫黄が含まれているためである。そう考えると、仕方のないことであろう)