一生に一度の祭り 金砂大田楽<かなさだいでんがく>
あれはいつのことだったのだろうか、新聞で「今年の春、茨城で72年に一度行われる祭りがある」という記事を見た。最初は特に関心がなかったが、祭りの行われる直前になって、「次は多分見ることができないだろうから、この機会に行ってみたい」と思い、急遽出かけることにした。田楽は朝8時から行われるため、見たいと思うならば、泊まるか、夜行に乗らなければならない。名古屋からだと夜行快速「ムーンライトながら」が東京に朝早く着くため便利なのだが、決まったのが直前だったので、指定券は取れない。シーズンに運転される全車自由席の臨時快速に乗って出かける。
土曜の東京の始発電車はいつ見てもかなり乗っている。徹夜で遊んだ客が乗っているのだろうが、今日は様子が違う。その理由は水戸に着くとわかった。金砂大田楽を見に行く客なのだ。今日の会場である上河合は、水郡線の河合駅に近いところなのだ。水郡線の車両は4両に増結されているが、それでも混雑はラッシュ時並み。しかも途中駅でも客が乗ってくる。こういう混雑した列車では、改札を出るのに苦労することもあるが、たまたま乗ったところが河合駅の改札の正面にあり、スムーズに改札を出ることができた。今日の会場の上河合は、駅から歩いて数分の小学校の校庭。会場に着くと、朝早いにもかかわらず、すでに多くの人が田楽が行われるのを待っており、小学校の隣の神社では、神事が執り行われていた。
ここで、金砂大田楽について説明しておこう。ともに約1200年の歴史を誇る西金砂神社(金砂郷町)・東金砂神社(水府村)の両神社の神、金砂の神は、昔アワビの舟に乗って現在の日立市にあたる水木浜に現れ、その後、金砂山に鎮座したという伝説がある。その伝承に基づき、851年から両神社の氏子が水木浜までの往復約75キロを7日間かけて往復し、各地で田楽や神事を行うのが金砂大田楽である。金砂大田楽は、その後72年に1回行われ、今回で17回目である。なお、金砂大田楽は、「磯出大祭礼<いそでだいさいれい>」とも言われている。
田楽が始まった。小学校の校庭に仮設の舞台が設けられ、そこで田楽を舞う。校庭はかなり混んでいるので、仕方なく隣にある神社からフェンス越しに見る。田楽は東西の神社で内容は異なるが、ともに4段(東の場合は、四方固め・獅子舞・巫女舞・三鬼舞)で構成される。かつてはもっとたくさんの内容があったといわれている。いきなり第3段の巫女舞から始まった。「あれ?」と思ったが、巫女舞のあとは第1段に戻って、田楽が行われる。田楽は40分ほどで終了した。神社では行列の準備が行われていた。
金砂大田楽の行列は、東西で500人ずつの規模であった。しかし、いろいろな事情でそのような大規模の行列を行うことが難しくなり、今回は500人規模の「大行列」、250人規模の「中行列」、50人規模の「小行列」の3種類で行っている。田楽の直後の行列は、基本的に「大行列」となる。また、氏子の人数も足らないので、ボランティアや学生アルバイトもかなり動員している。10時過ぎにパトカーの先導のもと、行列は動き出した。行列には馬や神輿、獅子舞、全国の神社ののぼりなどいろいろなものがあるが、資金も足らないようで、賽銭箱までやってくる。しかも、賽銭箱が通り過ぎると沿道の観客から小銭が投げ込まれる。
行列は20分ほどで終わったが、そのまま帰るのももったいない。那珂湊の魚を食べようと思い、いくつかの電車を乗り継いで行く。もっとも、接続は悪く、勝田からはバスを使う。那珂湊の駅から歩いて10分ほどのところに、「おさかな市場」がある。13時半をまわったというのに、市場の食堂はかなり混んでいる。市場の中に3年ほど前に友人と行った店を見つけ、昼ごはんにする。海の幸がたくさん入った海鮮どんぶりだ。このあたりはアンコウも有名なので、冬に来たらアンコウ鍋を頼もうかな?(終わり)
↑金砂大田楽(田楽)
金砂大田楽(行列)↓
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