惜別 さようなら「北アルプス」
私鉄である名鉄線から高山線に乗り入れる列車は戦前から存在していたが、戦後高山線への乗り入れが復活したのは1965年のことである。名鉄は特急並みの豪華な車両を「準急」として使用したためかなりの人気を博し、瞬く間に高山線の人気者になった。高山線を貫通して富山地方鉄道に乗り入れたり、特急に格上げされたりした。このころが「北アルプス」の黄金期だった。しかし、国鉄がJRに変わったころから風向きは変わる。JRが高山線の特急「ひだ」を新車に置き換えたことに対抗して1991年に名鉄も新しい車両を導入したが、「ひだ」が増発されたことにより「北アルプス」は次第に存在価値を失っていった。「北アルプス」の衰退の動きに止めを刺したのが東海北陸道の延伸である。昨年の10月に高山の隣の清見村まで高速道路が開通し、名鉄など3社による高速バスが走るようになった。名鉄は「北アルプス」がなくても有力な観光地高山へのアクセスができたので、バスよりも乗客が少ない「北アルプス」を運転し続ける理由がなくなった。ついに9月30日をもって、「北アルプス」は廃止されるのである。先週の土曜日、友人が「『北アルプス』に乗って高山に行く」と言うので、私も一緒に行くことにした。ただし、私が乗るのは途中の下呂からである。
高山から下呂まで普通列車に行き、まずは昼食。下呂町が最近、売り出し始めた「トマト丼」を食べる。「トマト丼」とは、少なめに盛ったごはんに飛騨牛と舞茸の冷しゃぶをのせ、まわりにトマトを飾った料理である。トマトのおかげでさっぱりした料理になっているが、やはり夏の料理だ。これから寒くなるのだから、寒くても食べられる料理を考えるべきだろう。店の人も試行錯誤しているようなので、次に食べたときには改良がなされていることに期待したい。
下呂といえばやはり温泉。下呂温泉の源泉は益田<ました>川の河原にある。脱衣所も囲いもない温泉のため、入るには勇気が必要だ。なお、女性は水着を着て入浴することができる(もっとも、それでも昼間から入るのは恥ずかしいだろう)。駅に戻り、これまた9月で販売をやめる駅弁「飛騨の栗こわい」を2個買い、「北アルプス」の到着を待つ。
「北アルプス」はやってきた。いつもは3両編成の列車は4両に増結されていて、いつもよりは混んでいる。多くもなく、少なくもなく、ちょうどいいところだ。友人の話によれば、新名古屋と美濃太田の間は非常に混んでいたらしい。名鉄には9月末で廃止になる路線が4つもあるため、「お別れ乗車」で忙しいとは思うが、終点の高山まで足を伸ばしてもらいたい、というのが正直なところだ。買ってきた駅弁のうち1つを広げ、友人たちに食べてもらう。高山にはあっと言う間に着いた。高山駅では多くの人がカメラを持って、「北アルプス」を撮影していた。
先週から高山に新しい乗り物が現れた。真っ赤な車体の2階建てバス、「ロンドンバス」だ。高山の郊外にある美術館、飛騨高山美術館が美術館へのアクセスとして運行をはじめたバスである。飛騨高山美術館は高山のある会社の社長の美術館で、ガラス工芸と世紀末装飾が売り物である。「高山にロンドンで見られるようなバスが走る」という話は今年の正月ぐらいにあったが、許可の関係から運行開始がかなり遅れたのだ。バスは原則として美術館の入場券がないと乗れないので、駅の旅行センターで入場券を買ってバスに乗り込む。バスは古い町並みをぐるっとまわる。私にとってはいつも通っている道だが、2階から眺める風景はやはり違う。みんなで美術館に入ったが、じっくりと展示品を見ていったので、かなり時間がかかった。代金は少々高いが、見る価値は十分にある。友人たちは最終の「ひだ」で富山に向かった。
高山駅で名鉄の車両が見られるのもあとわずか。「北アルプス」は最後の力走をしている。しかし、10月以降のこの車両の運命はまだ決まっていない。まだできてから10年あまりしか経っていない車両であるので、このまま廃車にするのはもったいないが、引き取り手は現れるのだろうか?(終わり)
↑左「北アルプス」、右「ひだ」
非常に珍しい「ロンドンバス」↓
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