富山キトキトの旅(3)
この旅も今日が最終日。今度は西のほうに行くことにする。
初日、富山で会った友人のすすめで、富山から高岡に行くのに、「富山-(富山地方鉄道バス)-新港東口-(渡し船)-越の潟-(加越能鉄道)-高岡」というルートをとった。まっすぐJRでいけば普通電車でも20分でいくところを、2時間以上かけていくちょっとした旅である。もちろん、かかるお金もその分だけ高い。JRが320円であるのに対して、私のとったルートは1230円かかる。
もともと、このルートは1本の鉄道で結ばれていたらしいが、港の建設工事で線路が分断され、富山側のほうは後に廃止された。高岡側のほうは写真のような古い電車が走っているが、経営状態が悪いようで、地元では対応策が考えられているようである。
高岡から氷見線というローカル線に乗り、伏木で降りる。伏木はその昔、越中の国府があったところであり、文化の中心として栄えた。そこに国司(今風に言えば「県知事」)として派遣されたのが若き日の大伴家持である。「万葉集」の編者として有名な彼は5年間の在任中に多くの歌を詠んだ。
写真の施設は「万葉歴史館」。中の展示によると、越中を離れてからの家持は権力争いに疲れ、あまり幸福な人生とは言えなかったようである。
伏木から小さなトンネルを抜けると、進行方向右手に青い海が広がる。日本海だ。写真ではまったくわからないが、鉄道は海岸線ぎりぎりに走り、遮るものがない。このあたりを「雨晴<あまはらし>海岸」といい、源義経らが平泉に逃れるときに岩の下に隠れ、雨が止むのを待ったという伝説でも知られている。
やがて列車は終点の氷見に着いた。ここは漁業の町として知られており、毎日多くの魚が水揚げされる。旅の最後は寿司で締めることにし、寿司屋に入ることにした。(おわり)
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