みちのく さいはての旅(3)

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 青森の「三内丸山遺跡」の名は、学校の教科書には出てこなかったと思う。しかし、学校の教科書に出てこなかったところが、今歴史上重要なところになっている。野球場建設のために行われた発掘調査で、大型掘立柱建物跡(未だに何に使われたかは不明)・大型竪穴住居(集会所に利用した?)などが発見され、保存を求める声が大きくなった。そこで、1994年8月、ついに野球場建設は中止され、遺跡は保存されることになった。

 三内丸山遺跡は、今から4000~5000年前の遺跡で、かなり遠方との交易を行っていた都市だったようである。遺跡では、大型掘立柱建物跡などいくつかの建物が復元されている。遺跡には家族連れも多く見られたが、子供たちが大人になるころにはどんな発見があるのだろうか?


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 弘前城は1611年に津軽藩二代藩主津軽信枚<のぶひら>によって築城された。現在は公園として整備され、ゴールデンウィークのころに行われる「さくらまつり」が開かれることで有名である。東京や大阪より1か月ほど遅れてようやくやってきた春を喜ぶかのような桜は一見の価値がある。


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 弘前の町は城下町らしく、当時の面影を残す武家屋敷もいくつか残っている。しかし、明治時代に西洋文化の影響を受けてつくられた洋風建築も見逃せないところだ。写真にある「青森銀行記念館」(旧第五十九銀行本店本館)のほかにも、旧弘前市立図書館、旧東奥義塾外人教師館ほどが明治時代の洋風建築として残っている。

 青森銀行記念館は、現在貨幣の博物館として使われ、古いものから新しいもの(2000円札、新500円玉)まで様々な貨幣が展示されている。1000円札で入館料を払ったら、8月に登場したばかりの新500円玉をおつりにくれた。さすがは銀行の博物館、といったところだろうか。


 弘前からは「リゾートしらかみ」に乗車。「リゾートしらかみ」は秋田新幹線開業時(1997年)に、五能線の活性化を狙って運転された列車である。特に弘前行きの場合は、沿線で数々のイベントが実施され、しかもそれは年々充実している。

 私が乗った秋田行きの売り物は、何といっても日本海に沈む夕日。この美しさは今までに見たことのないすばらしいものだ。これを見るだけでも五能線に乗る意味はあった。(おわり)