山陰・山口の旅(2)
今日は大田市からバスに乗って25分、石見銀山・大森に行った。
石見銀山は戦国時代に世界有数の銀山として知られ、大内・尼子・毛利氏によって銀山の争奪戦が行われたところである。人口も最盛期は20万人を数えていたという。このようにして栄えた銀山も江戸中期になると衰え、ついに1923年に閉山することになった。石見銀山の入り口に当たる大森の町には昔ながらの町並みが保存されている。写真の「大森代官所跡」もその一つで、これは1902年に建てられた邇摩<にま>郡役所を利用している。
大森の町の中に「羅漢寺」という寺がある。この寺は鉱山で働いていて亡くなった人や祖先の霊を供養するためにつくられた、「五百羅漢」で有名である。この「五百羅漢」は温泉津<ゆのつ>町の石工坪内平七が、江戸の中期に20年以上の年月をかけて完成されたもので、八代将軍吉宗の次男、田安宗武も寄進をしたようである。
石見銀山には無数の間歩<まぶ>(坑道のこと)があったが、現在公開しているのは、龍源寺間歩ただ一つである。数少ない幕府直営の鉱山で、良質の銀鉱石がたくさんとれたようである。
間歩の様子は写真の通りで、頭がつかえるぐらいの狭いものである。夏でも寒く、ときどき水(わき水)がポトリと落ちてくる。これがとても冷たく感じられた。
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