山陰・山口の旅(5)
今日は一日中、市内観光ができる日。自転車を借りて、早速出発する。
萩城は、萩の街の北西の指月山のふもとにある。関ヶ原の戦いで西軍に味方したことにより、大幅に領地を削られた毛利輝元が1604年に築城した。その後250年以上、萩に城があったのだが、幕末の1863年に幕府に無許可で城を交通の便のいい山口に移す。明治になって城は取り壊され、今では公園となっている。
土塀に夏みかん、という組み合わせ。萩といって思い出すのはこの光景かもしれない。明治維新以降、生活に困った士族のために夏みかんを植えることをすすめ、こういう風景が生まれた。
萩の武家屋敷。白い壁に黒い板塀、江戸時代から時間が止まったままのように感じられる。このあたりには藩の御用商人をつとめた菊屋家住宅や幕末に活躍した高杉晋作や木戸孝允の旧宅があるので、観光客でにぎわっている。
幕末の時代に大きな影響を与えたのが、吉田松陰。萩の街の東にある、この写真の小屋のような建物が、松下村塾である。彼がこの建物で教えたのはわずか1年、しかし松陰と松下村塾の名は誰もが知っていることである。松下村塾の入り口には、吉田松陰歴史館があり、ロウ人形で分かりやすく説明している。
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