山陰・山口の旅(7)
長門市から列車を乗り継いで訪れた津和野は、山あいの小さな町。コンパクトで落ち着いた町は人気がある。
津和野のメインストリート、殿町通り。右側に写っている建物は、藩校の養老館。西周<にしあまね>(明治時代の啓蒙思想家)や森鴎外(後に説明する)を輩出したところである。現在は民俗資料館として使用している。養老館の隣は津和野カトリック教会、畳敷きの礼拝堂で心を休めることができる。養老館の向かいは町役場。この辺りの雰囲気を壊さない木造の建物である。視線を下に向けると、鯉が泳いでいる。
夏目漱石と並び、日本を代表する文豪の森鴎外の生家。鴎外は1862年に藩医の子として、ここに生まれた。ところが、10歳のときに医学の勉強のために東京に行き、以来津和野には帰っていないのである。その後の鴎外の活躍はここに書く必要はないだろう。
1921年、鴎外は津和野町長に鉄道(現在のJR山口線)が開通したら帰ることを約束するが、それは果たせないまま「石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」との遺書を残し、この世を去る。鉄道が開通したのは鴎外の死の翌月のことだった。
参道から拝殿まで1000以上の赤い鳥居が並ぶ太鼓谷稲成<いなり>神社。ずらりと並ぶ鳥居には圧倒される。10分ばかり参道を登っていくと、そこは拝殿。そこから見下ろす津和野の光景。登った価値はあった。
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