祝 富山ライトレール開業

 砺波のチューリップフェアを見てから、城端線・北陸線を乗り継いで富山へ。富山駅の駅ビルで白えび天丼を食べる。「白えび屋」の白えび天丼は、リーズナブル(630円)に富山名物の白えびを食べることのできる、ありがたい店だ。ここは何回か来たことがあるのだが、雑誌で紹介されたためかだんだん人気の店となり、店に入るまでに2、30分かかった。

 いよいよメインの富山ライトレールへ。路面電車はこれまで邪魔者扱いされ、縮小し続けていた。ここ数年は風向きが変わり始めたが、それでも岐阜は、そこそこあった路面電車網を全廃してしまった。路面電車に理解のあるところも、単純に「赤字=悪」の考えにとらわれ、なかなか新たにつくろうとする都市はなかった。そこに現れたのが富山ライトレールである。JR富山駅から北に、JRのローカル線が延びていた。名前はJR富山港線、もともと私鉄だったため(戦争時に国有化)、約1キロ間隔で駅があるのだが、JR西日本は株を公開しているため赤字路線に積極策をとることができず、1時間に1本しか電車は運転されなかった。いわゆる「使える」鉄道ではなかった。その富山港線に転機が訪れたきっかけが、北陸新幹線の着工決定。富山港線をどうするかで議論となった。そこで出されたのが、富山港線を改修して新型路面電車をつくる案、つまり、富山ライトレールをつくることであった。

 駅北のライトレール乗り場に行くと、先発の電車に乗ることはできないようで、次の電車を待つ列が出来ている。ライトレールの定員は80人で、詰めれば120人ほどは乗れるが、途中駅から乗る人を考慮して100人ぐらいしか乗せていないようだ。でも、1本待っただけで乗ることができた。開業初日はライトレールに乗るのに1時間待ちだったようだから、それに比べれば待ち時間は短い。富山駅北14:15発の電車は、ドア付近が青色に塗られている。列の前のほうに並んでいなかったので、椅子に座ることはできず、線路を見ることができる電車の最後部を確保する。反対ホームに次の30分発が来たら、いよいよライトレールの出発だ。

 ここから奥田中学校前は、路面電車区間。駅近くの区間は、道路の端のほうに軌道があり、芝生が敷かれている。端に線路があるのは、あまり例がない。奥田中学校前で電車は大きく左に曲がった。ここからは、JRの線路を流用した区間だ。電車の最高速度も専用軌道に入ったことで40キロから60キロに上がり、普通の鉄道のように信号機がついている。しかし、60キロの高速で走ると、電車は少し揺れる。

 電車は定時に富山駅北を発車したはずだが、富山駅北行きの電車が遅れたため(富山ライトレールは単線なので、駅で交換待ちをしなければならない)、終点の岩瀬浜には2、3分ほど遅れて到着。降車駅で運賃を支払うシステムのため、終点では降りるのにかなりの時間がかかる。ラッシュ時など利用者の多い時間帯は、中ほどの扉からも下車できるように、富山駅北に持ち運びのできる運賃箱とICカードリーダーを置いたほうがいいのではないだろうか? もっとも、5日は、係員が紙の箱を用意して、運賃を集めていたが。

 このまま単純に折り返すのは面白くないので、岩瀬の町並みを散歩する。岩瀬は、かつて北前船が寄港し、栄えた町であった。ライトレール開業に合わせて、町並みが整備され、銀行も周りにあわせた建物になった。町並みを抜けて着いたのが、岩瀬浜から2つ手前の東岩瀬。この駅は、JR時代の駅舎とホームが残されている。見比べてみると、JRのホームとライトレールのホームは、高さが全く違うことがよくわかる。北陸新幹線が開業すると、富山駅は在来線も高架になる。ライトレールは、その高架下をくぐって、富山地鉄の路面電車と接続することになっている。富山地鉄の路面電車のプラットホームは、昔ながらの低いもの。ライトレールは、将来のことを考えて、各駅のホームの高さを削ったのだ。(終わり)

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↑富山駅北に到着したライトレール

JR時代はここからまっすぐ伸びていた(奥田中学校前)↓

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↑左がライトレールのホーム、右がJRのホーム跡(東岩瀬)