桜めぐり00 樽見
今年は春の訪れが遅いようで、ようやく薄墨桜が満開の時期を迎えた。昨日の雨も止み、桜を見るにはいい天気だ。今日が一番混みそうなので、朝早く起きて出発することにする。
大垣駅でJRから樽見鉄道に乗り換える。樽見鉄道はもともと国鉄の路線であったが、赤字だったので、第三セクター化された。通学や観光輸送のほか、貨物輸送でも活躍している鉄道である。話を大垣駅に戻す。さすがは桜の時期、朝7時前であるにもかかわらずロングシートに客が埋まっている。「ムーンライトながら」から乗り継いでくる客(私もそのひとりだが)を拾って、やや遅れて出発。1両のレールバスは小さな駅も丹念に止まって、樽見を目指していく。
途中の神海<こうみ>からは第三セクターに転換されてから開業した区間だ。新しい路線というだけあって、トンネルが多くなる。根尾村の水鳥<みどり>というところで降り、喫茶店で朝食をとる。
今から100年余り前の1891年10月28日の早朝、東海地方に大地震(濃尾地震)が起こった。根尾谷を震央として起こったこの地震は、数千人の命を一瞬にして奪った。そして、それに伴い根尾谷断層を生じた。断層の延長距離(80キロメートル)もずれの大きさ(高さ6メートル)も世界的な規模である。地震断層観察館はこの根尾谷断層の上に立っている。地震資料館のほかに根尾谷断層を真上から掘り下げた(断層の様子がわかりやすい)地下観察館、震度4~5の地震を体験することのできる(つくりものとはわかっていても、かなり怖かった)地震体験館も併設されていて、地震について学ぶことができる。
地震断層観察館をあとにして、根尾村の中心部に向かって歩く。根尾川を渡ったところに1本の桜がある。名を「板所の桜」という。薄墨桜に隠れて地味な存在だが、本来ならもっと注目されても良い存在かもしれない。
地震断層観察館から歩くこと30分、ようやく本日のメインイベントが現れた。それは薄墨桜、たった1本のこの桜を見るために東海地方はもちろんのこと、全国から観光客が集まってくる。道路は渋滞し、車が村にあふれている。店もたくさんあり、大賑わいだ。
ここで薄墨桜について述べておこう。薄墨桜は彼岸桜の一種で、国の天然記念物である。花が散るときに、花びらが淡い墨色をすることからこの名がつけられたという。木の高さは17メートル、幹の周囲は9メートル、何度か枯死の危機を迎えたが、数々の手術によってそれを乗り越えた。薄墨桜は今から1500年前、根尾村に隠れ住んでいた継体天皇が皇位を継承するため村を去るときに、形見として残したものと言われている。そのとき、「身の代と遣す桜は薄住よ 千代に其の名を栄盛へ止むる」という歌を残した。継体天皇の名を知るものは少ないが、この薄墨桜は1500年を経た今でも人々に知れ渡っている。
いったん駅に戻り、バスに乗る。次に行くのは、うすずみ温泉である。温泉に入ると、お湯がねっとりしている。それもそのはず、この温泉の成分は、非常に海水に似ている(海水を3倍に薄めたものに近い)のだ。露天風呂に入るのは久しぶりであり、楽しむことができた。ただ料金が1000円と高く、お湯が熱いのは気になったが。
再びバスに乗って樽見駅に戻る。駅には列車を待つ人の行列ができている。積み残しになるかどうか心配であったが、なんとか列車に乗ることができた。車内は意外とすいていた。吊り革がすべて埋まるぐらいの混雑だったから。はっきり言ってもっと詰め込むことができるはずだ。列車は対向列車が遅れたために13分遅れて出発したが、終点の大垣に着くときには遅れは4分に縮まっていた。
大垣からは近鉄に乗り換える。桜見物で混雑する樽見鉄道とは違い、客が少なく、のんびりしたムードが漂う。養老で途中下車、駅の西には養老公園があり、遊園地や「養老天命反転地」などがある。その公園の一番奥にあるのが、養老の滝だ。養老駅から歩いて30分、高さ30メートルの滝は孝子伝説で知られている。ある親孝行の息子が病気の父親に酒を飲ましてやりたいと思い、養老の水をひょうたんに汲んで父に飲ませたところ、父は元気になったという。この話は奈良の都にまで知れ渡り、元号を「養老」に変えたと言われている。かなり歩いたので疲れてしまった。ここは1890年に日本で最初につくられた「養老サイダー」で疲れをいやすことにしよう。
養老から再び電車に乗り、今年の桜見物も終わった。来年も桜を求めて、どこかを旅することになるのだろう。(終わり)
↑大賑わいの薄墨桜
養老の滝↓
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