わたらせへの旅

 今回の旅は最初が肝心。東武北千住駅で特急券が買えないと一瞬にしてゲームオーバーになってしまう。心配しながらの旅のスタートとなったが、自動券売機に向かい、ボタンをたたくと無事に切符を買うことができた。私の乗った「りょうもう3号」は東京の街を離れ、館林まで約50分間どこにも停まらずにひた走る。ところが館林からはこまめに停まる。駅に停まるごとに客を降ろし、相老<あいおい>に着くころには車内はガラガラになっていた。

 相老でわたらせ渓谷鉄道に乗り換える。ここはもともと足尾線という名前の国鉄線であったが、赤字であったため、1989年に第三セクターとなった。ふと駅の看板を見ると、「フリー切符発売中」とある。切符の値段は1800円、終点まで往復すればもとは取れる。改札口で早速購入した。

 わたらせ渓谷鉄道はかなり昔につくられた(1911年開業)ので、渡良瀬川に忠実に沿っている。川が右に行けば線路も右、川が左に行けば線路も左。焦げ茶色のディーゼルカーが川の動きに揺らされているかのように走る。途中の水沼からは車内販売員の女性が乗り込んできた。お茶やおやきがいくつか売れたようだ。

 神戸<ごうど>で降りる。駅からは村営のバスが運転されている。普通、地方のバスは通学や通院の足としての色彩が強く、休日になるとかなりのバスが運休になることも多いが、ここのバスは休日になると逆に本数が増える。私がこれから目指す富弘美術館などの観光施設があるからだろう。10分ほどで、ダム湖のほとりに立つ富弘美術館に着いた。団体客が多く、混雑している。

 星野富弘氏は1946年、ここ神戸に生まれ、群馬大学を卒業して中学校の体育の教師となった。しかし、クラブ活動中に大怪我をし、首から下の自由を失う。病院に入院中に、口に筆をくわえて詩や絵を書くことを覚え、それをライフワークとすることとなった。少年のころの自然を題材にしたこれらの詩と絵は多くの人々からの賞賛を浴びている。

 再びバスで神戸駅に戻り、昼食とする。食堂はなんと駅の構内だ。東武の古い車両を使ったレストランがある。店内に入り、「何にしようか?」と考えていると、「麦とろご飯」を勧めてくれた。それでお腹を満たし、列車に乗ってさらに奥を目指す。

 わたらせ渓谷鉄道の終点の足尾の町は、かつて銅山で栄えた町だった。足尾銅山の歴史は、1610年に遡る。2人の農夫が銅の存在を発見し、江戸中期の1741年には銭の鋳造も始まった。銅山は一時衰退するが、1877年に古河市兵衛の経営となってから急速に発展した。最新の技術を取り入れたからである。ただ、こういう輝かしい歴史の影には鉱毒に悩む人たちがいたことを忘れてはならない。しかし、銅の生産は次第に減少し、1973年、ついに閉山されることとなった。現在はトロッコ(バッテリーカー?)と徒歩で巡る博物館となっている。館内にはさまざまな人形が設置され、ボタンを押すと会話が聞こえてくる。当時の採掘の様子がよくわかる。

 最後は水沼で降りて、駅の中にある温泉(露天風呂もある)で休憩。でも、次の列車まで30分しかないので慌ただしい。隣の宴会場からはカラオケが鳴り響いていた。次に来るときはもう少しのんびりしたいものである。(終わり)

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↑わたらせ渓谷鉄道の車両、右は温泉!

トロッコに乗って鉱山見学↓

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